いまさら『かもめのジョナサン』を読み直す

2022.10.16

ライフ・ソーシャル

いまさら『かもめのジョナサン』を読み直す

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/アンソニー・シーガルは、無意味に生きることに絶望する。だが、死ぬ前に、いちど時速200マイルで飛ぶというのを、自分自身で見てみることにした。そして、彼は2000フィートの上空から、海へ真っ逆さまに急降下する。ところが、そのとき、なにかが、もっと速く、彼の横を追い抜いていったのだ!/

もともとこの物語は、救世主イエスを描いた新約聖書以上に、その新約聖書をオマージュしたニーチェの『ツァラトストラ』に似ている。とくに『ジョナサン』の第二部から第三部かけて、「山」を降りてフレッチャーに会い、群れを挑発するところなど、『ツァラトストラ』第一部そのままのプロットだ。だとすれば、『ジョナサン』のエピローグが、『ツァラトストラ』第二部をなぞることになるのは、当然だった。

いくら本が売れ、一大ブームになっても、バック自身、この第三部の自分自身の答えには納得していなかっただろう。評論家の批判を待つまでもなく、結局のところ、ジョナサンとそのアウトキャストの弟子たちが新たな排他的なフロック(群れ)、カルトを作っていくだけの話なのか。この本に熱狂する読者たちは、そもそもアウトキャストなのか。むしろフロック(群れ)に甘いエサを撒いて、それを喜んでついばむ連中を作り出しただけではないのか。

だから、加筆されたエピローグ(後の第四部前半)では、飛ぶことの意味を考えるどころか、曲芸的な飛ぶ練習しかしない、それどころか自分で飛びさえもしないで、歩いてジョナサンの集会に集まってくるバカモメたちが描かれる。おそらく、それこそが、バックから見たブームのさなかの読者たちの狂騒だったのだろう。ジョナサン、そして、チャンが問いかけた謎に、自分で答えようともせず、ただ本を買って、それを読んで、鼻を高くする連中。

リビングストンは人名だが、もとは地名だろう。同様に、ヒューストンやボストンなど、○○ストンというのは、特徴的な「石」のあった地名に因んでいる。つまり、リビングストンという名前は、そのままに意を取れば、生きた石、ということだ。それは、アウトキャストとして捨て石だが、それがアウトキャストを救う生き石にもなる。そんな両義性をわかってか、わからずにか、ジョナサン教団の信者、バカモメたち、つまり、この本の読者たちは、けっして自分自身では高く飛ぶこともなく、ただ美しい小石を拾ってきては、それを落として積み上げ、各地に塚を築く。それはまるで、迫害の苦難の中で芸術や科学などの道を切り拓いてきた天才や英雄をいまさらながらに美辞麗句で礼賛する偉人伝全集のようだ。

いくら著者の希望であろうと、こんなシニカルなエピローグを、大ベストセラーの改版に追加する編集者などいるわけがない。本が売れなくなるというだけでなく、実際、ここまでであれば、わざわざ改版するほどの魅力あるプロットではないからだ。ニーチェの『ツァラトストラ』にしても、ここから、七転八倒して、長々と第二部、第三部、第四部まで彷徨することになる。飛行として象徴を絞り込むことで先鋭的にメッセージを打ち出した『ジョナサン』には、そんな思想的な展開を繰り広げるほどの力は無い。かくして、このエピローグはお蔵入りとなった。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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