中世の春:ヨーロッパとイスラム圏の奇妙な協調(前編)

画像: シャルルマーニュの使者を迎えるアッラシード

2022.01.14

ライフ・ソーシャル

中世の春:ヨーロッパとイスラム圏の奇妙な協調(前編)

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/十字軍でいきなりカトリックがイスラム征伐に乗り出したわけではない。じつはむしろ、ムハンマド無くしてカール大帝無し、と言われるくらい、イスラム圏とヨーロッパは密接な関係、いや、それ以上の友好関係にあった。/

J だけど、予定説って、アウグスティヌスも主張していて、それが正統と認められていたんでしょ。

いや、アウグスティヌスが言っていたのは単純予定説で、その人が自分でかってに自由を貪ったせいで悪事を犯し地獄に墜ちるのであって、神がその人に悪事や地獄を予定していたわけではありません。だから、エリウゲナも、神は存在であり、存在の欠如である悪事や地獄は神の外のことだ、としました。しかし、この彼の主張は、あまりにドライすぎて、かえって異端の疑いをかけられてしまいます。

J まあ、ものの言い方の問題なんでしょうけれど、たしかにエリウゲナの主張だと、神の人格的な慈悲とか恩寵とかも無いような印象ですね。

どうもエリウゲナは、哲学も、神学も、パリ市に来てから学んだようで、なかでも彼はあるギリシア語文献の影響を強く受け、そのラテン語を翻訳した。その著者は、自分を使徒パウロの直弟子だったアテネ元老院議員(アレオパギタ)ディオニシウスだと言うのですが、これは六世紀に突然、世に出てきたもので、内容も、そのころのイエスの神性と人性の論争を調停すべく、新プラトン主義を援用したもの。

J つまり、それ、偽書ですよね。

たしかに著者は紀元一世紀のディオニシウスを語るニセモノですが、むしろさんざんの神学論争が落ち着いた後に書かれただけあって、カトリック正統教義の上に成り立っており、神学の祖となりうるものでした。だから、新プラトン主義を援用すると言っても、一元論的で汎神論的なプロティノスの流出説は取り除かれ、神と被造物の絶対区別のために、むしろプラトン本来の離存分有説や弁証法を復活させています。すなわち、神は、被造物的な肯定や否定を越え、一の存在にして多のイデアなる者で、輝く闇。これに対して、被造物はその神の光に照らされる程度に応じて存在させられている、とされます。

J うーん、たしかにカトリック正統教義とプラトン哲学をうまく合わせているようですけれど、やっぱりずいぶん無機的な神学ですよね。

でも、エリウゲナは、この偽ディオニシウスの神学を独自に発展させます。ディオニシウスが、あくまで神と被造物の静止的な位置づけであるのに対して、エリウゲナは、キリスト教の創造と終末の歴史観と合わせるべく、これを原因と結果の力動的論理(ロゴス)の発展と見なした。

彼によれば、最初、創造されず創造する神が自己認識として、創造され創造する類的なイデアを立て、これが創造され創造しない個的な被造物として、精神性のみの天使、精神性と物質性を併せ持つ人間、物質性のみの諸物を成す。しかし、これらの被造物は、みずから類的なイデア、そして創造されず創造しない神へ回帰しようとする、とされます。

J つまり、被造物としての個性は殺して、天上界的な類的イデアに徹しろ、そうすれば神の御許に近づける、ということかな。いかにも暗黒時代っぽい神学ですね。


(後編に続く)

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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