3)ビジネスでないのが本当によいか?
最後にもう1つ、意見には掲げられていませんが、「学校の先生」になって教育に関わる、というのももちろん考えられます。
意見を下さった方はすでにお気づきかもしれませんが…
学校の先生、といえども、給与は税金から支払われるわけですから、これも無償ではないんですよね。誰かが金銭の負担をしているわけで。
ボランティアやNPO、学校の先生、といった、一見「お金」という視点とは無関係に見える活動も、どこかで何かの「コスト」や「負担」がかかっているんです。
また、このような「コスト的負担感とは無関係」に見える教育の従事者に発生しがちなのは
“目の前の子供に多くの時間つきっきりになること”
を良かれと思う感覚です。
誤解を恐れずに言えば、熱くなっている自分に酔っている状態、とでもいいますか。
僕はこう思うんです。
教育に熱い、からこそ、(自分が関われる時間)×(自分が関われる人数)の最大値を求めるべきだと。
関わっている目の前の人に熱くなっている状態を見て、「あの人は良い教育者だ」とは断言できません。
熱いからこそ表面上はクールになり、一人の人に囚われることなく、多くの人にちょっとした成長のヒントを与えられる人も、そんな人以上の教育効果を与えているんではないか、とー。
ビジネスで教育に関わると、必ず「費用対効果」を考えなければいけません。
かかったコストに対し、最大の効果をー。
費用対効果、という言葉を使うときの「効果」はあくまで企業の収益ではありますが、収益性が高い教育事業は、それだけお客さんに評価されている、つまり実際の教育効果が高いものもあると思うんです。
「熱いからこそ表面上はクールになり、一人の人に囚われることなく、多くの人にちょっとした成長のヒントを与えられる」教育サービスというのは、費用対効果の限りない追求から生まれる事だってあると思っています。
4回にわたって書いてきた「教育とビジネスは相反する!?」は今日でオシマイです。
いろいろ書いてきましたが、「教育はビジネスの方が適している」というつもりもありません。
適している場合もあれば、適していない場合もある。
それを考えるのは難しい。
けれど、教育に限らず、同じ「制約条件」はどこにだってありますし、“どんなサービスであってもおんなじなんだ”という認識から「教育」に向かっていかないと、制約条件に立ち向かっている自分に酔いすぎて、制約条件の中で工夫された素晴らしい教育サービスを提供できる自分にはなれない…
そんな覚悟と自然に向き合えれば、教育を提供することは、とっても楽しく、やりがいのある仕事になると思います。
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教育とビジネス
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