中国で、外国人が出版や広告業を営むのは至難の業。にも関わらず中国政府公認で情報誌ビジネスを展開している日本独資企業がチャイナ・コンシェルジュである。当初、日本人向け情報誌からスタートした同社が、中国フリーペーパー業界でオンリーワンのポジションを確保するまでの経緯を辿る。
第二回
「Macintosh一台担いで大連へ」
■会社を潰したくない、自分が楽をしたい
「始まりは大連でした。日本からMacintoshを担いで行って、これがあれば何とか情報誌ぐらい作れるやろ。そんなノリでしたね」
同社の創業は1995年である。当時は日本でもまだフリーペーパービジネスはまったくの萌芽期だ。
「中国で日本人向けにフリーマガジンを作って成功するなどとは夢にも思っていませんでした。しかも大連を選んだのも成り行き。北京や上海と比較検討した結果でさえなかったのです」
当時の中国の法律では100%外資の企業を設立するための最低投資額が100万USドルと定められていた。しかし手元資金は1000万円しかない。まともに考えれば中国で創業することは不可能である。
「ただ中国には地方ルールがあった。大連なら1000万円の資金で会社を作れる。知人からそんな情報を得て、とりあえず現地調査に行ってみました」
大連は戦前、日本人が多く暮らしていた街だ。その影響もあるのだろう、ここには日本語を学ぶ中国人が多数いる。日本企業が多数進出しているから日本人もそこそこいる。北京や上海に比べれば、街もこぢんまりとまとまっている。
「千載一遇のチャンスですよね。早速ボロアパートの一室を借りてオフィスを作りました。内装を一からやり直さなければならないぐらいの場所でしたが、それも3000円で材料と道具を買って来て自分でやりました」
虎の子の1000万円は一円たりとも無駄にできない。創業当初、大西社長の頭にあったのは二つ。何としても会社を潰したくないという切実な思いと、何とかして自分が楽をしたいという欲張りな願いだ。
「会社を潰さないためには、きちんと中国の法律を守ることが何より大切だと考えました。だから何とか免許を取り、雇用もコストはかかるけれども正規のやり方を通したんです。わずかばかりのお金をケチって法律違反で指摘されでもしたら元も子もないと考えていましたから」
自分が楽をするためには、たとえ従業員が一人しかいなくともきちんとした組織を作ることが重要だ。労働契約を守り、法も遵守する。そんな大西社長のビジネスマインドは、優秀な社員を引きつける磁力となった。
■フリーマガジンの情報収集効果
そもそもなぜ、フリーマガジンだったのだろうか。
「これもいくつか理由があります。まず僕自身がリクルートで編集ノウハウをある程度身に付けていましたから、ちょっとしたDTPぐらいなら自分で何とかなるやろと。それと僕がほんまにやりたいのは、ホテルのロビーにいる、あのコンシェルジュなんです。どういうことかというと、人に役に立つ情報を欲しい人にお届けする。それが自分の天職やないかと」
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FMO第6弾【株式会社チャイナ・コンシェルジュ】
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