人権週間を忘れていないか

2020.12.08

ライフ・ソーシャル

人権週間を忘れていないか

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/人権は、『世界人権宣言』で決議された達成すべき努力目標。しかし、人の権利は、我々がそれを尊重するという義務によってしか実現しない。おまけに、人権論の根底には、市民権論、実定法論、自然権論の違いがあり、くわえて、現代社会はもはや自由や平等の調整の余地を失ってしまっており、簡単な問題ではない。/

現代人権問題の困難のもうひとつは、不自由や不平等は人権侵害のせいとは限らない、ということ。身体の障害、病災害など、運の不平等。いくら実定法で国や他人による人権侵害を抑制しても、この問題は解決しない。では、これを国が平均水準まで補填保障すべきなのか。とはいえ、国庫は無尽蔵の財布ではなく、その補填保障は、他の人々の負担増によって賄われる。となると、それは、国を介した弱者による人権侵害ではないのか。それゆえ、自由主義の自然人権論派から、どこまでも拡大し続ける平等主義の政府に対して強い反発が生まれてきている。

さらにまた、個人のレベルでも、近年、実定人権論をはるかに越えて、自然人権論が爆発的に肥大し、あちこちで摩擦を生じている。たとえば、まずい店の口コミは名誉毀損か。ブサキモに酌をしないのは人種差別か。まずいものはまずい、いやなやつはいや。そんな表現の自由、心情の自由にまで、人権を理由に人権侵害されないといけないのか。どちらの側もとりあえず、人権問題だ、と大声で喚き散らせば、相手がひるむ。それに付け込んで、他人の人権を踏みにじってでも自分の好き勝手を拡大するのは、まさに万人の万人に対する闘争。

人権を大切にしよう。それはそうだ。しかし、そんなきれいごとを口先で唱えるだけで、やり過ごせるほど簡単な問題ではない。これだけ世界が狭くなり、あちこち人間が接しあって暮らしている以上、自由だ、平等だ、と言っても、調整できる余地は、ほとんど残されていない。だれがか動けば、だれかを傷つけてしまう。だが、自分だって傷つけられたままでいたくないから、アクションを起こし、それがまた別の人権問題を引き起こす。

重要なのは、人権は、権利ではなく義務だ、ということ。権利などというものは、本人の側に本質が無い。それを尊重する義務を国や他人が果たすことによってのみ、権利は外側から実現する。これだけ人間がひしめいている現代世界。殺生して肉を食べているように、それどころか空気を吸うように、我々は、日頃、あらゆることでなんらかの人権侵害の瀬戸際に直面している。なんでもかんでもとりあえず自分の人権を主張して争うより前に、まず他人の自由と平等のための余地をより広く空けてあげられるよう、せめてむだに他人の人権を侵害していたりすることがないよう、身の回り、毎日のことを見直してみよう。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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