近代の国家と個人の始まり:フマニズムと宗教改革の16世紀

2018.07.24

開発秘話

近代の国家と個人の始まり:フマニズムと宗教改革の16世紀

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/1500年、歴史は大きく動いた。中世のローマ教会とヒエラルキア(神聖管理)、そして、前世紀のルネサンスとバブル国家が一掃され、宗教改革とともに、近代の国家と個人が登場してくる。このことこそ、その後の世界における欧米のヘゲモニー(覇権)の端緒となった。/

これは、教皇の鍵権(天国の門への推薦権)によって、現世の罪が許される、というものであったが、いまさらだれもそんなものを信じていない。しかし、これは、魔女狩りとセットになっていた。ツォレルン家支配都市マインツ大司教区などでは、異端の密告が奨励されていた。魔女は空を飛ぶから軽いはずだ、として、容疑者を鉄カゴに入れ、川に沈める。もし浮かべば、魔女なので火焙り。沈んだら、疑いが晴れ、魂は救われた、とされた。いずれにせよ、その実験費用は、本人の財産で賄われ、教会と密告者で山分け。だから、次々と金持ちが狙われた。この密告や処刑を防ぐには、先に大量に免罪符を買って、魔女ではないことを証明しておく必要があったのだ。

しかし、異端追求は、本人はもちろん亡き先祖にまで及んだ。それで、免罪符もまた、地獄に落ちた先祖まで救える、とすることになった。だが、1517年、ヴィッテンベルク大学の田舎教授ルター(1483~1546、34歳)が、純粋に神学的な見地から噛みついた。死んで地獄に堕とされた者は、神の最終判断の結果であって、推薦者にすぎない教皇が、神の最終判断を覆すとは、神に対する教皇の越権だ、と。

教皇レオ10世は、商売のジャマと激怒。ところが、ルターは、もとより教会のドイツ支配を不満に思っていたザクセン公らに匿われ、免罪符を売っていたブランデンブルク辺境伯さえも、手のひらを返してルターを支持。ルターは、聖書をドイツ語に翻訳し、「教皇」などという地位が聖書には無いことを人々に知らしめ、キリスト教をイスラムのように個人が持ち運べる信仰に変え、教皇や善行ではなく個人の信仰によってのみ神と正しい関係となるという信仰義認説を唱えて、ついにはローマ教会から独立。

おりしも1519年、オーストリア・ハプスブルク家のカール五世(1500~皇帝19~56、19歳)が神聖ローマ皇帝に即位。生まれたのはフランドル、育ったのはスペイン、話す言葉はフランス語。これが、カスティリア(スペイン)王国、ブルゴーニュ公国、ミラノ公国、アラゴン連合王国(地中海北岸・サルディニア島・シチリア島・イタリア南半)のような、かつてのルネサンス国家をひとまとめにし、突然に、フランスを東西に挟む強大なパプスブルク帝国を出現させ、教皇を牽制した。

外交官マキャヴェッリ(1469~1527、47歳)は、新興強国のフランス王国とハプスブルク帝国の狭間で揺れるフィレンツェにあって、16年、『君主論』を記し、権謀術数に長けたイタリア絶対君主の必要性を説いた。実際、海外では愚行蛮行を恥じず、個人の欲望を剥き出しにしたスペインのコルテス(1485~1547、36歳)が21年にメキシコのアステカ帝国を略奪、ピサロ(c1470~1541、c63歳)が33年にペルーのインカ帝国を滅亡させる。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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