手段が目的化しないよう、常に戒めが必要だ
評価制度の目的は、三つあるとされている。一つ目は適切な処遇(給与・賞与など)の決定であり、二つ目は成長促進、三つ目はモチベーションの向上だ。目標を定め、一定期間を経て結果・経緯を評価することによって、賃金や等級を決定するとともに、更なる成長や意欲的取り組みを促す。目的は「適切な処遇の決定」「成長促進」「意欲の向上」であり、評価制度はそのための手段であるというわけだ。
手段が目的化しないよう、常に戒めが必要だ。しかし現実には、評価(の公平性や納得性を高めること)は、多くの人事部やマネジャーの目的になってしまっている。目的はあくまで、「適切な処遇の決定」「成長促進」「意欲の向上」であり、これらは企業経営にとって極めて重要だが、それらが実現するのであれば手段は評価でなくても構わない。これら3つの目的の実現に寄与していないのであれば(そう感じている企業が多いと思うが)、評価という手段が間違っているか、評価という手段だけで実現しようとするのは無理があるのではないかと考えられる。
一つ目の目的である「適切な処遇の決定」は、予算配分と同じような方法で可能だ。期初に部門ごとに事業で使う費用・投資額を決定するのと同様、部門ごとに人件費総額を割り当て、個別の配分額(誰をいくらにするか)や配分方法は部門長に一任する。点数やランクもつけない。そして、そのプロセスや結果には経営も人事部も関与しない。経営や人事部よりも、本人を近くで見ている上司の判断の方が的確だろうし、近くで見ている人が下した判断なら本人も納得しやすいからだ。もちろん、部門長の判断に対する不満も出るだろうが、そのような時にだけ関与・調整できるように「不服審査」の仕組みを備えておけばよい。
それでは公平性が保てない、という反論もあるだろう。横並びで見たときに、同じような業績・役割・能力なのに高すぎる、低すぎるといった現象が起きるという主張だ。確かにそうなる可能性は高い。しかし一方で、公平性を保つための関与や調整は、それを重ねるほどに「どうしてその結果になったのか」が分かりにくくなるために不透明感が増し、また調整による結果の変更は、上司の意向を退けるものであるから現場の納得性も低下してしまう。「公平性」と「透明性・納得性」はトレードオフの関係になりやすい。よく、「評価制度は、公平性と透明性と納得性が重要」と言われるが、これらをバランスさせるのは不可能に近い難題である。であれば、「公平性」と「透明性・納得性」のどちらを重視するか(=処遇のポリシー)を明確にすべきだ。言い換えれば、“働く人(のやる気)本位”か“本部(の気持ち良さ)本位”かの選択である。「透明性・納得性」が低下しても、「公平性」を保つべきという人はいないだろう。
人事制度
2009.07.30
2009.05.12
2017.01.20
2017.01.30
2017.03.10
2017.10.13
2020.04.22
2021.05.14
2022.06.13
NPO法人・老いの工学研究所 理事長
高齢期の心身の健康や幸福感に関する研究者。暮らす環境や生活スタイルに焦点を当て、単なる体の健康だけでなく、暮らし全体、人生全体という広い視野から、ポジティブになれるたくさんのエビデンスとともに、高齢者にエールを送る講演を行っています。