評価をちゃんとやろう。では評価基準を作ろうというアプローチは、だいたい失敗している。それはなぜか。
評価制度を作ろうとする時、ちゃんと作ればややこしい議論せずとも、何かとても自動的に結果が出て、それが評価された方に分かりやすく伝わって、理解や納得がすんなりと得られるというようなイメージをお持ちの方が少なからずおられますが、それは無理というものです。
法律があったら、起こっていることがそれに照らして自動的に判断できるというものではなくて、やはり裁判所は必要です。その背景や経緯などを精査して判断されなければなりません。山のように判例があったとしても、やっぱりそれぞれの案件は個別に議論されなければなりませんし、それでも足らないので上告や不服申し立てというシステムがあります。同様に、各々の業績や行動や能力や取り組みは個別に丁寧に議論するべきです。
学校の評価(通知簿)に文句が出ない、議論の必要がなく容易に評価できるのは、テストをするからです。正解があるものに取り組ませて点数を出して、その結果はほぼ完全に本人だけが原因で、その点数によってどういうランクにするというルールも決まっているからです。仕事の成果はもちろん、能力や行動をそれと同じようにシンプルに評価することはできません。
製品の検査・検品は、合格ラインを定めておけば、容易にOKとNGが判断できます。果物や野菜も同様に、基準を決めれば議論の必要はなく現場の人が一人でそのグレードを評価・決定して問題はありません。機械や野菜の評価と、人や人のしたことの評価を同じようにしてはいけないのは、人は複雑で多様性があって“基準”を当てはめることが容易ではないこと、また、人には感情があって「評価結果への納得」が不可欠だからです。(野菜が、その評価に対して納得する必要はないわけです。)
「基準を作れば評価がうまくいく」ということの限界はここにあります。もちろん、ガイドラインやルールとして制度の出来も大切ですが、趣旨を理解した丁寧な議論や調整、合意と納得を得るフローや面談といった運用がそれよりももっと大切である、というより、ここをさぼっていては折角の立派な制度も台無しになってしまう、ということです。
人事制度
2011.06.27
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2017.01.20
2017.01.30
2017.03.10
NPO法人・老いの工学研究所 理事長
高齢期の心身の健康や幸福感に関する研究者。暮らす環境や生活スタイルに焦点を当て、単なる体の健康だけでなく、暮らし全体、人生全体という広い視野から、ポジティブになれるたくさんのエビデンスとともに、高齢者にエールを送る講演を行っています。