/大和政権は、奈良湖干拓拡大とともに疫病が蔓延し、全滅の危機に瀕した。これを須恵村の渡来人治水土木技術者が解決。これに気を良くした崇神天皇は、住吉港から羽曳野にまで至る幅10メートル、全長30キロの大運河を計画する。/
疫病による大和全滅の危機
大和入りした神武天皇の年代はいまだに不明だが、ざっと3世紀半ば過ぎくらいか。とはいえ、神武の後、第2代から第9代まで、都は橿原(かしはら)のまま。事跡も不明。それで、「欠史八代」として天皇の実在性までも疑われる。
なんにしても、大和政権は巨大化していく。神武に先立つ大国主(農地土木集団)の東岸三輪山周辺への入植以来、周辺の山々の木々が燃料として伐採され、崩れる土砂の堆積で干拓が進み、奈良湖はあっという間に消滅し、中央に水足池(現奈良県流域下水道センターのあたり)の沼を残すのみ。しかし、干拓も善し悪し。広大な農地に大量の村民を得たものの、疫病が大流行。記紀によればすでに住民の過半が病死、このままでは大和全滅というほどの猛威を振い、暴動も起こった。
北からの郡山と南からの島の山(現古墳)が台地でつながっており、最後に残ってしまった水足池は、もはや排水のしようがないのだ。この東側に大量の人口を抱えれば、下水汚水が逆流し、疫病が大流行するのも当然。まして初瀬川上流で水銀開発などしていたら、水銀に溶かした金で大仏にメッキを施した平城京末期と同様、気化水銀が奈良盆地住民に体内蓄積し、しだいにひどいことになってきていただろう。
義兄の長髄(ながすね)彦を殺して、後から来たイワレ=神武天皇の大和入りを認めたニギハヤヒ(物部氏の祖)の末裔のイカガシコメが第9代開化天皇妃となり、第10代崇神天皇を産む。崇神天皇は、汚染された畝傍山麓の橿原から三輪山麓の瑞籬(みずかき、生け垣で隔離されたところ、現天理教敷島大教会)に宮を遷した。また、これまで宮中で天照大神と大国主と二つを並べて祀っていたが、神威畏れ多く、というより、この疫病を両神の祟りと恐れ、とにかくどこか外のところで祀ることにした。
まあ、もともと大和は国津神の大国主の出雲系植民領で、天津神の天照大神が強引にそれを譲り受けたもの。天照から高千穂に派遣されたニニギの末裔だか弟子だかだったにすぎないイワレこと神武天皇は、自分でかってに高千穂を出て、大和に乗り込んだだけであって、大国主からしても、天照大神からしても、両者の大和承継の間に横入りした簒奪者にほかならず、それを継ぐ大和政権が双方から恨まれても仕方あるまい。
渡来人治水土木技術者
とりあえず天照大神の方は、自分の娘の一人を巫女にして大和の笠縫村(比定地不明)に祀って、磯堅城(しかたき、石塚?)に神籬(ひもろき、依り代)を立てた。一方、大国主は、もともと三輪山が御神体なので、瑞籬宮の北に大神(みわ)神社を造った。ここにも娘の一人を巫女にして置いたが、髪が抜け落ちて祀れなかった。すると、夢に大国主が現れ、大田々根子(たたねこ)に祀らせろ、と言う。
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2009.11.12
2014.09.01
大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。