/農家は田分けを防ぐために、家督は長男単独相続。だが、武家は、あくまで実力本位で、一族の中でもっとも威光のある者が「長者」の地位を継承する。ただし、それ以外の家も、それ以前の家格を保って存続し、それどころか、兄弟でどんどん分流並立していく。田んぼとちがって、勢力は全国にいくらでも拡げられるからだ。/
農家などの場合、「田分け」による零細化を防ぐため、家督は長男単独相続で、次男以下は使用人も同然。ところが、武家の場合、家督は、あくまで実力本位で、一族の「長者」が継ぐ。ただし、長者の地位は、一族の祖墓祭祀、宝物保管によって象徴するのみ。それ以外の家も、それ以前の家格を保って存続し、それどころか、本家も分家も無く、さらに親族兄弟でどんどん分流し、各地に拡大していく。田んぼと違って、武家の勢力は、全国に、いくらでも拡げられるのだ。
このような一族「長者」制は、天皇家をはじめとして古代の氏姓時代からあったと思われるが、これを明確にしたのは、645年の大化の改新で活躍した中臣鎌足が藤原家を興したことに始まる。その長男は僧になって、次男の不比等が継承。その男子それぞれを南北式京の四家として、いずれも存続させ、さらに分流し、一族全体で強大な権力を握る。この仕組みを、武家の平氏や源氏も取り入れ、複雑で巨大な一族支配を実現させた。
ここで長者相続の基準となるのは、先代との近親順序ではなく、対外的な実力威光。具体的には、皇室から与えられる官位であり、一族の中で最上位である者が、その一族全体の「長者」となる。たとえば、藤原伊周(これちか)は内大臣であったが、995年、伯父で五男の道長がより上位の右大臣に就き、公式に「藤原長者」と皇室から認められた。尾張家継友と紀州家吉宗の争いも、権中納言の継友に対し、吉宗がより上位の権大納言になったことで決着し、後者が「源氏長者」(すべての武家は、建前上、源氏末裔を自称しているので、実質的にすべての武家の長者)として皇室に公認されている。
この一族「長者」制は、貴族や武家に限らない。派閥を並立存続させながら総理総裁を互選で擁立支援する戦後の自民党などにも見られる。また、海外でも、広大なネットワークを誇るハプスブルク家やロスチャイルド家でも、この長者制は顕著だろう。商家でも、文明堂は、同じ長崎に発しながら、7社があり、さらに、銀装、文栄堂も、その一門。料亭の吉兆も、4社独立ながら同じ名を守るグループ。
藤原道長や織田信長の相続内紛や族内覇権で、むしろ一族の勢力は全体としては衰退してしまったように、どちらが本家で分家か、などと、狭い身内の中で兄弟親族が争う者たちに未来は無い。まして、親子で覇を奪い合うなど、論外。近年は、経営者たちが持ち株会社として上に乗り、それぞれ自分の出身母体である事業会社の人材を、自分の後継者にしようとする傾向も見られるが、グループは、互選であってこそ、グループの強みがある。江戸徳川家に倣うなら、だれもどこが出身事業会社かわからないくらい、事前に内部での人事交流、人材交換を活発にしていってこそ、つまらない内部争いを避けることができる。
(大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン。専門は哲学、メディア文化論。著書に『悪魔は涙を流さない:カトリックマフィアvsフリーメイソン 洗礼者聖ヨハネの知恵とナポレオンの財宝を組み込んだパーマネントトラヴェラーファンド「英雄」運用報告書』などがある。)
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2010.03.20
2015.12.13
大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。