2016.01.18
職場のウェルビーイングを考える (5) - スイミーで考える「犠牲にならない」フェアな社員とは
おおばやし あや
SAI social change and inclusion 代表
フェアな社員であること…強い目的意識と「自分は組織の一部である」実感、犠牲にならず組織との共存を目指すことは、組織のパフォーマンス向上のためにも、個人の幸福や成長、やりがいのためにも欠かせません。それでは、フェアな社員とは一体どういうものでしょうか。名作のシーンを例にとって考えてみます。
② 犠牲にならない
会社の目的や利益を最優先に考える、ということではありますが、決して「自分を犠牲にする」ということではありません。むしろ逆で「犠牲になってはならない」のが②のフェアさです。自己犠牲的な社員も、結果的には「発展できる持続可能な会社」の障害になります。もしスイミーが自己犠牲的だったら、何が起こるか想像してみましょう。
「もしスイミーが自己犠牲的だったら」
もしくは
自分が目の役になることを提案し、言ってみれば最強王者の恐ろしいまぐろに立ち向かう決意をし、勇気を出して戦い勝利したスイミーと、安易に自分を犠牲にしてしまうスイミーとでは何が違うのでしょう。きっと、「みんなで生き残る」という強い目的を理解していたことのほかに、「自分を知っている」「誇りを持っている」ということが言えるのではないかと思います。
スイミーは、上に挙げた「自己受容」…”自分の存在には価値があり、自分には他者に貢献できる能力があると信じる” 力を持っていたので、自分を活かすために必死で考え答えを出し、実行する勇気を持てました。みんなのために何かをするとしながらも、自分であることも捨てない、むしろそれを活かして共存する、なかなか難しいことです。思い切って自分が身を挺してしまったほうが…と思えるときもあるでしょう。
しかし上の例で言えば、スイミーが己の身を投げ出すと仲間たちは一度は逃げきれるため、一見何かを為したようではありますが、じつは「誰かが犠牲にならなければならない」構造を作ってしまうことで、次は誰かがそれをやらなければならなくなってしまうのであり、結果的に全体にとって利があるとは言えません。
その視点がフェアさのヒントになると思うのですが、例えば「サービス残業を強いる組織」は構造的に問題があり、今自分がちょっと我慢をすれば場がおさまるということは、長期的にみて組織にも自分にも良い行動ではないということが想像できるかと思います。
共栄共存のゾーンを意識し、自分のためにも組織のためにもならないことには毅然とNOを言う、改善を提案して動く、そういう勇気ある人間が内部にいたことで崩壊を免れた組織は、じつはたくさんあるのではないでしょうか。
労働基準法、労働契約法などには、「労働者と使用者が対等な契約を結ばれること」と何度も書いてあります。前回のフェアな組織論で触れましたが、労働者と組織はそのままで同じ力を持っているという意味ではなく、労働者が弱い立場であるだけ、法などで守られているという意味で対等です。
(組織Aと個人Bが対等であることをあらわす図:水色が労働者を守るための雇用契約、安全と衛生ののための法律や、労働組合を作る権利を意味します)
自分から身を投げ出すのではなく、「自分と組織は対等である」という意識を持ち、自分の尊厳と権利を手放さず「会社の目的のために」フェアであること、自分の役割がなければ会社は成り立たないので責任を持って動くが、共栄共存の意識は常に持つということが必要です。
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おおばやし あや
SAI social change and inclusion 代表
Well-beingの実現をめざす起業家として、日本、フィンランドで主に労働者福祉分野で講師や研究開発者として活動。フィンランド国家認定ソーシャルワーカー。 「個と全を活かす」をテーマに、コミュニケーションツール開発や、多くの関連ワークショップ、研修を全国のさまざまな大学、企業、団体さまにて提供させて頂いています。