/武士の収入は、部下の収入に再分配され、おまけに御奉公は無償が原則。しかし、下士でも城下に広い家と敷地を与えられ、これを使ってさまざまな副業ができた。一方、現地赴任の代官となると、敷地を使った副収入は無く、新田開発や用水開削などの事業の負担を強いられ、地元商人と相談しても、苦労の連続だった。/
武士を知らない京都の連中が粗製濫造していたテレビ時代劇が滅びるのも道理。もっともらしい時代考証とやらも、昨今の史料精査で、ほとんどウソと妄想だらけだったのがバレてきてしまった。たとえば、悪代官。金糸銀糸でキンキラの度派手な着物を着て、悪徳商人と結託し、零細な農民たちや職人たちを搾取する悪の権化。しかし、実際は、代官なんて、あんな損な役目、武士はだれもやりたがらなかった。
武士、と言っても、上は将軍から親藩、譜代、旗本、御家人、外様に、これらの陪臣たち、さらには無所属の浪人と、まさにピンキリ。浪人を除き、武士は大きく上士と下士に分けられる。上士は知行地(領地)を持つ家。下士は蔵米取り(幕府や大名の直轄地収穫からの配分)。たとえば、加賀前田家は百万石で最大。一方、下士(御家人や下級陪臣)の大半は五十俵未満。
しかし、これを現代通貨に換算してもあまり意味が無い。というのも、第一に、知行地制は重層的だから。いくら知行地が広大でも、その大半は、家老以下の上士の知行地に再分配されている。残りが直轄地だが、これも下士や手代(武士以外の職員)の俸給などに当てられる。つまり、石高は、そのままそれが自分の取り分ではない。
第二に、武士の御奉公は無償自弁。事業予算などいうものは無い。上からお役目が与えられると、自腹を切って、やりとげないといけない。つまり、石高や俸給は、もともと事業予算込みの渡し切り。では、どんな仕事があったのか、というと、これは大きく番方と役方に分けられる。番方というのは、武士本来の警護業務で当番制。大名の江戸警護の参勤交代がその典型。各家の陪臣たちも、番方(体育会系)は、城や要所に詰める。しかし、詰めるだけで、とくにすることも無い。せいぜい武芸の稽古で、さしてカネもかからない。一方、役方は、ムダにやたら毎日、忙しい。勝手方(財政、理数系)と公事方(訴訟、法文系)。こんな面倒、上士は自分ではやらず、実務は有能な下士に任せる。これまた下士を部下にするなら無償だから、とくにカネはいらない。下士も、任期中は役職相応にまで俸禄が御加増されるので、悪くない。
だが、大半の下士は、無役の小普請組。これも本来は主家の命に従ってみずから働かないといけないのだが、草刈りや水たまりの補修くらいならともかく、漆喰や石垣、水路、畳替えなどとなると、シロウトには手に負えない。専門の職人を組で雇って主家に派遣する。つまり、数十俵の収入以上の出費を強いられる。だから、なんとかして番方や役方に就きたい。それで、ひたすら武芸や学問に励み、登用抜擢や養子入りを願って、山吹色の贈答品などとともに上士家宅を年柄年中、挨拶回り。つまり、無役の下士ほど、カネの出が多い。
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2015.07.17
2009.10.31
大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。