日本の高齢者の8割は、病院で死ぬ。これは欧州諸国などに比べて突出して高い。なぜだろうか。(老いの工学研究所のHPに掲載したコラムを、転載しました。)
●病院死は減っていくか
日本の高齢者の病院死(自宅や施設ではなく、病院で死ぬ人の割合)は約80%と、欧州諸国の約50%に比べて高い。オランダでは30%そこそこである。昔からこうだった訳ではない。1950年代の日本では約80%が自宅で死んでいるから、この60年ほどで逆転したことになる。病院死を望む人が増えたのかというと、そうではない。「人生の最期は自宅で迎えたい」と考える人の割合は各種調査で6~7割となっており、昔と変わらず高い。在宅死を望む人が多いのに、病院で亡くなる人が8割に上るというのが実態だ。
病院死はコストがかかることもあって、国も病院から在宅へという流れを推し進めている。そして、在宅医療・介護体制の未整備、病院の過剰診療と軽い自己負担、終の棲家に相応しいケア付き住宅が少なすぎるといった状況が病院死を増やしていると見て、地域包括ケアシステムの周知・浸透、過剰診療や長期入院を抑制するための医療制度改革、高齢者向け住宅の整備などを行っている。確かにこれらは必要だが、欧州並みの水準、あるいは在宅死を望む人のほとんどの人が自宅で死を迎えられるような状況にはならないと思う。どんな制度にしようと、結局、死に方は本人の意思、周囲の死に対する考え方によるところが大きいからである。
欧州では延命措置を行わず、寝たきり老人もほとんどいないことが知られているが、これは衰えや死を神の意思と考え、無用に抗わないという宗教的態度の結果である。だから、在宅死の割合が高いという面がある。日本人はこのような死生観を持たないから、死を忌み嫌い、向き合うのを恐れ、最後は判断を委ねられた医師や家族による「死なせない」ことだけを目的とした行為が行われやすい。どのような制度になったとしても、この点が変わらなければ病院死はなかなか減らないだろう。
●高齢者の死生観の変化
この観点から見れば、日本で病院死が増えていったのは高齢者の思考、死生観が徐々に変化してきたことによるところも大きいと思われる。高齢者が、死と向き合うことを避け、死に方に対する判断を医師や家族に委ねるようになっていったのはなぜだろうか。
「サラリーマンは、気楽な稼業ときたもんだ」は、1962年にヒットした映画のセリフで、今から約53年前のことだ。現在75~85歳の後期高齢者は当時22~27歳の若手だから、現役時代のほとんどが“気楽な稼業”であったということになる。個人商店や自営業を営む人の割合が低下し、企業に入ることによって安定した収入を得られるようになっていった時代。日々の商売の浮き沈みや先々の不安に悩まなくてよいし、会社や上司の指示に従っていればよいので難しい決断に迫られることもなくなっていった。現役時代、自分の意思を表明したり、自分なりの判断・決断をしてこなかった(しなくてもよかった)世代であると言えるだろう。
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NPO法人・老いの工学研究所 理事長
高齢期の心身の健康や幸福感に関する研究者。暮らす環境や生活スタイルに焦点を当て、単なる体の健康だけでなく、暮らし全体、人生全体という広い視野から、ポジティブになれるたくさんのエビデンスとともに、高齢者にエールを送る講演を行っています。