中学入学前の段階で、「こういう子どもになっていてほしい」という願い、中学校の先生にうかがう機会がありました。
2.思いやりの心を持たせてほしい!
この言葉を出された先生の、隣の席にいらっしゃった先生も深く頷いていました。
ちょっと脊髄反射にしても意外なコメントでしたので(小学校卒業段階、という特定時期に求めるような事柄とは異質に感じたので)、「なんでですか?」と突っ込んでみました(もちろん、思いやりの心を否定するわけじゃあないですよ)。
「私はそれやる!(他はしない!)という自己チューが増えているんですよね…」
とのこと。
学校生活には、給食当番、掃除当番、その他、自分たちの学校、自分たちのクラス、といった中での自治が必要です。必ず協力してやっていかないと、学校やクラスといった「社会」が成り立ちません。
そして、「自分で勝手にやることを決めて(そして「決めた“やること”」そのものは決して悪いことではない)、他には協力しない」タイプの子は、「社会」を乱している一人が自分である、とは思っていません(悪意ではなく、気づいていない、ということです)。
これは、とてもヤッカイ。学校経営や学級経営の観点からは。
社会はみんなで創るもの。
自分勝手な人が蔓延った社会に自分自身が住んでしまうと、自分自身も不幸になる。
だからせめて、自分自身は、自分勝手な立ち居振る舞いをしないことで、社会を少しでも幸せにしたい。社会から幸せを感じたい。
そんな価値観を凝縮すると「思いやり」という言葉なのかもしれません。
3.「はい!」という気持ちがほしい
言い訳したり、逃げたり、そんなお子さんが増えているんでしょうかね。
4.嘘をつかないでほしい
同上。。。
3、4の話が出たときには「やっぱり親の教育のところが多分にあるよね…」と先生は異口同音に仰っていました。
繰り返します、3連休の最中、勉強会に出ているような先生方です。自分たちでやるべきことはすべてやる!のような先生ばかりです。
そんな先生であっても、雑談でぼそっと話すときに、「親」が原因、という言葉が出てくることを想像してほしいんです。
そんな親に育てられた子どもだけの問題でしょ、と、他人事のように感じない方がいいです。
子どもは子どもたちだけで、子どもの世界を作ります。
「悪貨は良貨を駆逐する」。心がまだ成長段階の子どもたちの世界では、そうなりやすいです。
つまりは、自分の家庭で、どれだけ素晴らしいしつけをしていても、他人に影響されるところはゼロにはならず、先生が問題視するような親の子どもに自子が影響される、学級が影響される、学校が影響される…
そんな問題意識も持ってほしいんです。
自分の子どもを大切に思うのであれば、問題行動をする親の居場所がなくなるような、そんな親のコミュニティ・雰囲気作りを、学校とともにやってほしいんです。
学校の先生だけでは無理ですから…。
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