問題点は何なのか、解決法は何なのか。 すぐに話題になるこのような用語、本質を分かって使われていらっしゃいますか?
ビジョナリー:松尾順さんの「木の根っこ問題」の記事を拝見して、思い出したことがありまして。
記事の出だしがこちら。
「何が問題なのかがわかれば、その問題は解決したも同然だ」
という表現を聞いたことがありますか?
実は以前、自社のちょっとした面接で、僕はこんな経験をしています。
事前にシート記入が求められました。
シートの項目に「あなたが考える会社の問題点はなんですか」とありました。
僕はその頃から(まだ20代の頃です)、
「解決法がわかっているものなんて問題点とは言わない、なぜならわかっていれば、自らその解決へ向けて動くから。組織の中でまだ不十分であり、自ら動く術がわからないものを問題点と言うはずだ」
という思考でしたから、当然のことながら、自分で解決法がわからない「問題点」を書きました。
面接にて。面接官が。
「寺西さんは~を問題点としてあげていますが、それを解決するにはどうしたらいいと思いますか?」
…だから、それが自分でわからないから書いたのに、と、心の中で叫びました。
いや、心どころか、口に出して「わかりません。それがわからないので、問題点としてあげたのですが」と、堂々と。
そしてこの面接の評点は、低かったわけです。
確かに、松尾さんが記事でも書かれているように、組織の中で「何が問題か」ということで、共通の認識を持つのは難しいわけです。
なので、面接官としては、「僕の考える」問題と、「僕の考える」解決をあげてもらって、僕との認識のずれを修正しようとしたのかもしれません。
…でも、これは好意的に解釈すれば、です。
きっと余り考えず発言されたのではないでしょうかね。
もし、僕自身の「問題意識」を問うのが目的であれば、「問題点を指摘する」だけで意識の高低はわかるはずです。
もし、僕自身の「問題解決能力」を問うのが目的であれば、問題を設定するのは自分自身ではなく面接官の方でなければ変です。
自分で問題点をあげさせ、自分で解決法を述べる面接って、テクニックだけのゲームですよね。
高い点数を上げるテクニックとはー
「最初に解決法がわかっている問題点をあげる」。
解決法がわかっているものは、問題点とは言わない、そんな思いは今でも変わりません。
注)解決法は、テクニカルなものだけを指すのではなく、「テクニカルな方法論はわかっているものの、組織の中でそれを動かすのが不可能に近い」という状況も「解決法がわからない」という表現になるかと思います。
そういう意識でいる方が、「問題がわかっているのに動かない」社員にならず、自分自身のためでもあると思うんですけどね。
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