『格差の壁をぶっ壊す!』(堀江貴文/宝島社新書)を読んで感じたこと。後編です。
確率論から言えば、幼いうちから私立志向で、進学校に行く方が、「東大」に合格する可能性は(結果としてみたとき)高いのかもしれません。
しかし、確率の大きなところばかりを進む人生は、レアな宝を見つけにくくする上、悪いレアなケースに当たった場合の対処ができない人間が形成されがちです。
堀江氏は「東大入学」という冠を手に入れ、人脈を作るだけでよい、と割り切り、中退、起業しますが、そもそもその発想自体&行動できることそのものがレアで、「私立の学校に入ることが生まれながらにして想像できるような家庭環境」で育った子どもにはなかなかできない発想だと思うんですよ。
堀江氏は私学出身ですが、家自体はそこまで裕福ではなく、様々な金銭的制約があった中で育ったため、レアな発想が身についたのかもしれませんし。
また、堀江氏は、公立教育志向は理想に過ぎない、その理想論通りに子どもが育つことは稀、と話していますが、決してそうは思いません。
僕自身、公立育ちの東大出ですし、意志さえあれば、外部環境の差を簡単に超えて得られる果実だと思いますから。受験での成功は。
それほど高校生までの意志は大人と比べて相対的に弱く、個人の努力で強く持つこと、それだけで、能力の伸長につながり競争優位に立てる可能性が高いものだと。
加えて、「色々な人間がいる中」で育ったことを、僕はいまだに「とてもよかった」と思っています。
※だからといって、私立学校での教育を否定するわけではもちろんありません。
お金による教育格差で上に行ける選択肢を持った人間は、その選択肢を選んでももちろんよいかと思います。
しかし、その選択肢がなくても、学習法の工夫~たとえば塾ではなく、廉価な通信教育を選ぶ、とか~をし、「受身」より「能動」の割合を増やせば、同じ到達点にたどり着くことは決して難しくありません。
だとしたら、「お金がないから良い学校に行くための勉強ができない」とぼやく、ねたむ、ひがむより、「お金がない、じゃあどういう学習手段をとろうか?」と考えた方がよっぽどいいですし、独自の学習手段を続けて身につけた力は、多くの人が行きがちな手段での力よりずっと高いものになることも多いです。
情報格差
いまだにITのことをことさらに敵視する人たちがいる。学校教育の中では、「インターネットは『出会い系サイト』などの有害なサイトがある」と言って、悪と決めつける。でも、出会い系サイトを通じで発生したような犯罪なんてものは、ネット以前の時代にも存在していた。だから、「出会い系サイトがあるからインターネットを使わせてはいけない」というのは根拠がない。
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書評
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