『格差の壁をぶっ壊す!』(堀江貴文/宝島社新書)を読んで感じたこと。前編です。
『格差の壁をぶっ壊す!』(堀江貴文/宝島社新書)
読了しました。
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著者に対する偏見なしに、多くの方に読んでほしい本と感じました。
実際には、一番読んでほしい人が、一番著者のことを毛嫌いしているタイプのような気がしますが(苦笑)、少しでもこの書籍に書かれていることを弁える人が増えるだけで、日本社会に実行力・成長力を生み出す気がしますので、書評を兼ねて紹介します。
※以降、引用部分を太字で示します。
序章 比べるということ
格差を問題にしたがるのは「ねたみ」の感情
ほんとにそう思います。本文中にも「格差そのものは悪ではない」とありますが、これも同感。
格差そのものを悪、とした段階で、人は格差を縮める努力を怠り他人に格差を縮めてもらうよう過度な期待をしてしまうものですから。
金持ちを批判したり、成り上がりの人間を「拝金主義だ」と批判したりする人たちは、あることに気がついていない。それは、自分たちの方こそ、カネのことしか考えていないということだ。
1章 カネにまつわる格差
所得格差
年収が減ったとしても、それに合わせて暮らしていける環境が整ってきている
物欲も、高級志向が全くない自分も、この環境変化は肌で感じています。
大学時代より、安くても満足のいくものが手に入りやすくなり、生活しやすくなったかと。
(シンガポールは)豊かな国というイメージがあるが、タクシー運転手など市井の人の収入は非常に低い。彼らの多くは、東南アジア諸国から出稼ぎにきている人たち。しかし、彼らの生活が貧しいとは言えない。街には格安の屋台が多く並び、非常にリーズナブルな値段で食事を楽しめる。街の人々の顔も、どこか日本の人々よりも生き生きしている感じがする。
カンボジアに行き、人に触れたとき、僕も同じような感覚を持ちました。
とくに、子どもたちの目がキラキラしていました。
…といって、日本の子どもたちにまったく責任はありません。
子どもたちを輝かせるために、大人たちがしゃんとしないといけないんです。
低所得でも、安いものを買って、安いエンターテイメントを楽しめば、十分に豊かな生活を送れるのに、それに挑戦もしないで不満ばかり言う。その考えはどうして生まれたのかというと、私は「日本人がバブルを味わってしまったからだ」だと思う。(中略)バブルは心理的に多大な後遺症を残した。日本人に「浪費=豊かさ」という発想を植え付け、そこから抜けだして「収入に合わせてリーズナブルに消費を楽しむ」ということを難しくさせてしまったのだ。
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書評
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