『格差の壁をぶっ壊す!』(堀江貴文/宝島社新書)を読んで感じたこと。前編です。
自分が感じている格差を縮めるために、努力して自分自身を変革するのももちろんですが、「助けてくれ」という手段をとることも、一つの格差是正の努力の一つかもしれません。
世代間格差
若者自身だって、変わらなければならない。それは、自分自身にレバレッジをかけるということだ。働いて自己資金を「貯める」というのは、愚かな発想。本気でカネを手に入れたいのであれば、がむしゃらに自己投資するべきなのだ。
僕だって「働いて自己資金を「貯める」」をしていますので、この行為自体が愚か、とは思えませんが(苦笑)、発想として、「使うべきところで使わずケチる」より「自己投資してケチるより何倍もの利益を得られる自分になる」ことはとても大切だと思います。
また、私見ですが…個人の金にケチな人は、会社の金にザルなような気がします。
家では電気をマメに切るくせに、会社のトイレは電気を消さない、とか。
こういう人は、本当の意味での「無駄」がわかっていません。
だって、会社のお金もケチったら利益が増えて個人の収入も増えるわけですから。
ケチよりも、お金の使い方を弁えている人間の方が、最終的にいろんな意味で「得する」と思うんですけどね。
お金の使い方を弁えた人間、というのは、たとえ儲かっていても、無駄なお金は使わない、という人間のことです。
職業格差
考えてみれば、「終身雇用」という制度自体、日本の歴史上極めてまれな存在だった。企業社会で終身雇用が始まったのは第二次世界大戦後の高度経済成長期であり、戦前はむしろ終身雇用は一般的ではなかった。(中略)にもかかわらず、現在日本人の多くが終身雇用制を「常識」だと思っている。これは「思い込み」という以外に表現のしようのないものだ。
「今、我々は、歴史の転換点にたっている」。戦争からもうすぐ70年という長さや、今年に入ってからの様々な災害を考えると、そう見るのが自然なのかもしれません。
…とすると、終身雇用などもうすぐなくなると見た方がいいのでしょうかね。
逆に、ワーストケースとして、終身雇用を守る、ということを日本の文化として固執するが余り、日本自体が沈没することもあるかもしれません。GDPの飛躍的な向上がなければ、終身雇用という既得権益を離さない人間によって、若い人の雇用が減るわけですから…。
今の企業の仕組みでは、年度替わりのタイミングでの、個々人への減給・降級がなかなかしづらい体系(風土)になっていますが、減給・降級がアタリマエになる社会にならないと今の日本は成長しない、と、個人的には思っています。
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書評
2011.10.26
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