天職を探すためにコロコロと仕事を変える… 変える、という所作自体が好ましくないとは思いませんが、今自分が従事している仕事に対し、ある程度「やりきった」感を持ってからではないと、一生、天職は見つかりません。
仕事に従事している最中には、何らかの形で対価を得ます。
対価は、その人への要望が金銭となって表れた形ですから、要望に応える責任も発生します。
その要望にとことん応えようとしないような、責任感のない姿勢では、天職の道がますます遠ざかります。
「責任」
英語で言うところの responsibility を、哲学者の鷲田清一氏は、2009年3月12日のニュースサイト「あらたにす」で、こう語っています。
出典:『明日のコミュニケーション』(佐藤尚之/アスキー新書)
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==(以下、引用)==
「責任」という言葉、英語ではリスポンシビリティ(responsibility)である。日本語の「責任」という言葉からは感じられない独特の含意がある。リスポンシビリティとは、直訳すれば、リスポンドできるということ、つまり、他者からの求め、訴えに応じる用意があるということである。
==(引用終了)==
天職を探す、という言葉で表された行動をイメージすると、どうも主体は「自分」にあるような気がしますが…
そもそも仕事は、他者からの求めに応じられないと存在し得ませんから、まさに「リスポンシビリティ」が必要なんですよね。
このことを考えず、自分の主観や好き嫌い、「その時点の自分」でできる・できないだけを主眼に置いて天職探しをしても、見つかりっこありません。
それこそリスポンシビリティの欠如…責任感のない行動ですから。
鷲田氏はこう続けています。
==(以下、引用)==
欧米のひとたちは伝統的に、ひととしての「責任」を、他者からの呼びかけ、うながしに応えるという視点からとらえてきた。この他者はかれらにとっては神でもありうる。だから職業のことを、とくに使命や天職の意味を込めて、コーリング(calling)と呼ぶことがある。まさに神からの呼びだしに応じるということである。
==(引用終了)==
自分のやりたいことがわからない…。
自分に何があっているかわからない…。
そう思っている若い人は、迷っているのではなく、今、自分に与えられた仕事を、とことん取り組んでみてはいかがでしょうか。
※誤解を恐れずに言えば、上記のような迷いがある、ということは、今までとことん、仕事に取り組んでいない証左でもあるとも言えます。
懸命に取り組むことでリスポンシビリティが身に付き、身に付くことでコーリングへ昇華することだって十分あるわけですから。
僕自身の話をします。
大学時代、塾のアルバイトを一生懸命しているうちに、教えた際「わかった!」と言われることにどんどん喜びを覚えるようになり、職としての「教育」を志すようになりました。
加えて、「わかった!」と言われることの最も多かった科目:「数学」で現勤務先(Z会)の入社試験を受けています。
「数学」は実は、最も苦手な教科だったのですが、苦手な人間が教えた方がずっと良い場合もきっとある、そう思って…。
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