誰もが他人から評価を受けます。 また、他人を評価することもあります。 自分の評価の捉え方、他人への評価の仕方で、「できる人」と「できない人」が分かれる指標になります。 (1)では、僕の住んでいる都市の広報紙の事例を。
僕の住んでいる三島市に、「広報みしま」という広報紙があります。
毎月届けられているんでしょうかね(余り意識したことはないですけど)。
10月1日号として届いたものの扉ページは下記のようなものでした。
タイトル:三島の人は三島のまちをどう思っているの?
小見出し:住みよいまちだと思う81%~市民意識調査を実施~
冒頭:三島の住みやすさ「住環境満足度」については「非情に住みやすい」(20.4%)と「どちらかというと住みやすい」(60.6%)を合わせて81%になりました。
※単純無作為抽出による郵送調査、有効回収1,209人、回収率60.5%です。
冒頭の
三島の住みやすさ「住環境満足度」については「非情に住みやすい」(20.4%)と「どちらかというと住みやすい」(60.6%)を合わせて81%になりました。
これは事実そのものです。
「これを(市で働く人は)どう受け止めているか」が、小見出しに現れています。
少なくとも僕が市で働く職員であれば、小見出しとして「住みよいまちだと思う81%」という文言をもってきません。
きっと僕ならこう書きます。
「評価はされているものの、まだまだ改善の余地あり!」と。
ひと括りで表現するのも問題があるかもしれませんが、公務員とビジネスマンの意識の違いを垣間見ました。
日本人は、不満点がよほど目立っていない限り、「まあいいんじゃない」と答えますよね。
だからこそ、僕自身が講演などを行ったときの評価では、聴衆の評価で「非常によい」という割合が「よい」という割合を超えない限り、「今日はよかった」とは判断しません。
多分それが、最も客観的な評価に近いと思いますから。
三島市の評価は「フツウ」なんです。僕の目からアンケート結果だけを見ると。
それ自体をどうこういうつもりではありませんが、このアンケート結果を見て“「住みよいまちだと思う」81%”という見出しをつけるあたりに、市政担当者の甘さが見えます。
ビジネスを真剣にやられている方ならお分かりだと思います。
きっとこのままでは、ずっと「フツウ」の市では、ということが。
勤務先(Z会)の教材や情報誌の評価をお客さんに聞くアンケートでもそうです。
「とてもよい」が「よい」を上回らない限り、それは「よい」とは言えません。
また、「とてもよい」が「よい」を上回っても、「アンケートに回答したい人だけに聞いて、抽選でプレゼントもある」ような場合は、よほど「とてもよい」が図抜けていなければ、「よい」とはいえません。
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