「あなたの会社がやるべきでしょ?」 「あなたの部署がやるべきでしょ?」 そして 「あなたがやるべき仕事でしょ?」 …なんで「余計なお世話っ」って感じることが多いんだろう…。 なるほど、「べき論」を語る人は、自分が考えた意見ではないからですか…
===(引用終了)===
僕はとってもスッキリしたんですけど、これを読んでスッキリした人、多いのでは?
言う事を聞かない人と相手しているみなさま(苦笑)
確かに、「べき論」を言う人は、理由を聞こうとすると
「めんどくせぇ!あたりまえでしょ、そんなこと」
として言い切るとか
「あーもう、いいよいいよ」
として対話から外れ、自分の味方をしてくれる人間に向け「だよね?」というメッセージを送り、賛同者を得ようとするとか…
そんなことが多い気がします。
「べき論」は虎の威を借る狐のとる方法なんです。
そしてまた、僕も、内田氏の言葉を借りているから、ここまで断定的に言えるんです(笑)
父の教え…
「絶対~」のような言い方、「べき論」を、他人に向けてやっちゃいけない、ということが、言語による理解を含めてとても理解できた瞬間でした。
「虎の威を借る狐」が、他人に向けて「~べき」と発した言葉は、責任転嫁以外の何物でもないですからね。
「~べき」という言葉を発するときの例外もあるかと思います。
それは、
発した本人に当事者意識があるとき、その言葉には重みを含む
という事です。
たとえば僕は、「もっと日本は、教育に力を入れるべき」ということもあります。
僕自身が、もっともっと真剣に教育に向き合っていたい、という心がありますし、実践もしたいという当事者意識が「ものすごく強い」ことの裏返しとして発するわけで。
だから、「~すべき」と言葉に発するときは、自分がその行動にどれだけ関与する意識があるか、によって、重さが全然違います。
「日本はもっと、若い人を育成すべきだ!」
…と発しているみなさん。
当事者意識、ありますか?
当事者意識、ある人、「増えるべき」!
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書評
2011.10.26
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