国土交通省が今年1~2月、全国の自治体に住民が直面している生活環境の問題点についてアンケートしたところ、250市区町村が「ごみ屋敷」に悩まされていることが明らかになった。 やっと、日本も「ゴミ屋敷」問題に本腰を入れるつもりのようだが・・・果たして・・・?
日本は、『見えないゴミ屋敷』の問題を、耕作放棄地と同じ経済の問題として捉えて、果たして良い対策はできるのだろうか?残念ながら、自殺者数は一向に減ってはいないではないか・・・。
ゴミ屋敷の主達は、他者の介入を拒絶する強い孤立感を抱いている。それは、大量消費社会というモノが溢れる時代に捨てられた故の孤独である。その大量消費の時代に、自分の過去が捨てられたので、現在を拾い集めて、生き長らえているのだ。そこに、未来は見えていない。
ゴミ屋敷は、物欲の墓場なのである。
ヒトが、暮らしの身の丈をも超えて経済発展を望んだ行く末なのである。
戦後の日本は、経済を発展させてきた。それは、間違いなく国力でとなり、誇りとなった。しかし、経済の発展は、常に矛盾を孕んでいる。人口も減る。生産と消費に抑止が効く。地球温暖化阻止に手を挙げるということは、日本の経済発展を支えてきたガソリン車をゴミの山にすることになる。場当たり的な、「現在を拾い集めるような対策」を講じるだけの政治や経済社会では、日本が「ゴミ屋敷」となっていくだけである。孤立する。
ゴミ屋敷をテーマとした小説「巡礼」(新潮)を書いた橋本治氏が、その刊行インタビューで下記のように答えている。
「ゴミ屋敷に住んでいる人は、さみしいんだろうな、と私はまず思ったんです。寄り添う人が必要なんだろうなと。ずいぶん昔ですが、有吉佐和子さんの『恍惚の人』 が出たころの週刊誌の記事で、若い看護婦の女の子が恍惚の老人にたいしてあたりまえの人として接したら、その老人が人間としてよみがえってくるような記述 があった。それが非常に印象的で、ちゃんとした人間として寄り添う人がいれば、そういうこともおこるんだなと思ったんです。」
寄り添う人もないままに、物欲を追い続ける果てに、、、ゴミ屋敷という墓場が待っている。それは、
大量消費社会という奇行を生きた私たちすべてが辿り着く可能性がある居場所である。
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有限会社ペーパーカンパニー 株式会社キナックスホールディングス 代表取締役
昭和30年代後半、近江商人発祥の地で産まれる。立命館大学経済学部を卒業後、大手プロダクションへ入社。1994年に、企画会社ペーパーカンパニーを設立する。その後、年間150本近い企画書を夜な夜な書く生活を続けるうちに覚醒。たくさんの広告代理店やたくさんの企業の皆様と酔狂な関係を築き、皆様のお陰を持ちまして、現在に至る。そんな「全身企画屋」である。