岐阜県内の暴走族総長に“就任”した杉山裕太郎さん。しかし自己肯定感を持てず、覚せい剤中毒に陥ってしまった。覚せい剤中毒の日々を送る中、杉山さんはどのようにして更正することができたのだろうか? [嶋田淑之,Business Media 誠]
転機――親の愛情に気づいた日
1997年、すでに23歳。そして逃亡生活は2年になろうとしていた。そのころには、潜伏先の名古屋から大垣の実家にも時折、顔を出すようになっていたという。そんなある日のこと。
「両親が私に大学に行ったらどうかって言ってきたんです」
でも、大検コースには通わなかったのでは?
「いや、実は私、大検に合格していたんです。19歳のとき、乱闘事件で逮捕された折に、担当刑事や弁護士が良い人だったこともあるのですが、とにかく心証を良くしようと思って、大検の勉強をしていました。
それを真に受けて、両親は私を大学に行かせようとしたんでしょう。でも、私は覚せい剤中毒なんだ。相も変わらず、親は私のことなんて、何も分かっちゃいない。そんな親だから、自分はこんな姿になってしまったんだ。そういう長年にわたる何とも言いようのない鬱積(うっせき)した思いが腹の奥底から湧き上がってきて、遂に爆発したんですよ。今思えば、両親に対するSOSのようなものだったのかもしれません」
そして杉山さんは、両親の目の前で自ら覚せい剤を注射して見せたのである。
「お前らのせいで、オレはこうなったんや~!」
茫然自失する両親……あまりの衝撃に思わず泣き崩れる母親……そして父親も……。しかしそのときの父親は、悲しい顔でうつむきながら、
「ユウタ、お前はお父さんらの大事な息子だ! 一緒にがんばって、止められるように何でも協力する。お父さんたちが悪かった! お前がそんなに苦しんでいるとは知らなかった」と叫びながら、杉山さんを力いっぱい抱きしめ、泣いてくれた。
杉山さんは、ハッとした。世間体にしか興味がなく、自分への愛情などないと思っていた両親が、今、自分の悲惨な現実を目の当たりにして、自分のために泣いてくれている。その瞬間、杉山さんは、遠い幼年時代に両親から愛されていたことを思い出した。
「実は、その後も、そして今も、昔と何ら変わらず自分は深く愛されていたんだ。両親はこんな自分でも受け止めてくれるんだ」
彼はハッキリそう自覚したのである。そう思うと同時に、覚せい剤でマヒし冷え切っていた心に、忘れていた温かいものが流れた。杉山さんもせきを切ったように泣き崩れ、両親とともに、30分以上、泣き続けた。ようやく親子が分かり合えた瞬間だった。
本気のコトバと抱擁を通じ親の愛情を自覚し得たことで、この日、この瞬間から、彼の人生は大きく変わっていく。
続きは会員限定です。無料の読者会員に登録すると続きをお読みいただけます。
- 会員登録 (無料)
- ログインはこちら
杉山裕太郎氏
2009.11.24
2009.11.16
2009.11.09
2009.11.02
2009.10.26