酒井法子と押尾学……この2人の違法薬物をめぐる事件は記憶に新しい。かつて覚せい剤といえば“遠いモノ”だったが、今では学生までもが手を染める時代に。こうした状況に対し、一石を投じようといている男がいる。ライブ活動などを通じ、世直しを図ろうとしている、杉山裕太郎さんに話を聞いた。 [嶋田淑之,Business Media 誠]
暴走族の総長に“就任”、シンナー中毒に
せっかく入学できた高校ではあったが、そこは、杉山さんにとって安住の場所ではなかった。
「入学して間もない5月には、教師とケンカをし、さらに上級生と殴り合いをして、バイクやクルマの無免許運転をしたんです。結局、無期停学を経て、退学ということになりました。このころはもう覆面をつけて暴走し、車内で寝泊りし、シンナーを吸っていました」
彼の両親は、杉山さんの知らないうちに、大手予備校の大検コースへの入学手続きをとっていた。予備校の大検コースであれば、比較的境遇の近い学生が多かったのではないだろうか?
「いやいや、全然違います。彼らはヤンキーだったり、不登校の生徒だったりするんですが、自分の将来に対して希望を持っているんですよ。でも、私の場合は、希望も何もなくヤンキーまっしぐらですからね。ものすごい違和感を覚えたわけです」と苦笑する。
暴走族には、どういう経緯で加わっていったのだろうか?
「自宅にもほとんど帰らず、バイクで暴走していました。そして周囲の連中から担がれて、チーム設立とともにいきなり総長になってしまいました。でも、結局、暴力団によって1年もしないうちに潰されてしまいました」
暴力団との間に何が?
「暴走族といっても、暴力団の準構成員が作るチームと独立系のチームとがあって、私のは独立系でした。だから、暴力団から『会費を払え』って要求されたのを突っぱねたんです。そしたら、潰されてしまって」
長いものには巻かれろ、ということか。あるいはそうせざるを得なかったのか。杉山さんは20歳のころ、暴力団ともつながるチームの総長に就任する。
「もう、そのころは、毎日、空気を吸うようにしてシンナーを吸っていましたね。完全なシンナー中毒ですよ。理由ですか? 寂しさ、ストレス、自己肯定感の低さ……でしょうね。
ラッカー(塗料の一種)は樹脂系の不純物が多いので、純トロとかスリーナインと呼ばれるクオリティの高いシンナーを吸っていました」
中学を卒業する前後から始め、シンナー歴は5年になろうとしていた。
「もう止めたかったですね。廃人になって緑色のゲロを吐いたりしている人を見ると、『嫌だなあ』と思いました」
シンナーを卒業したと聞くと、カタギに戻ったかと思ってしまうのだが、実際はその逆で、彼は覚せい剤に手を出すのである。
覚せい剤中毒に陥った理由
「覚せい剤はヤクザの先輩からの紹介で関わるようになりました。覚せい剤をやったら、すごく気持ちよかったですね。私の場合は、吸引ではなくて注射を打つ方でした」と淡々と語る杉山さんであるが、それにしても、なぜ覚せい剤なのだろうか?
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