岐阜県内の暴走族総長に“就任”した杉山裕太郎さん。しかし自己肯定感を持てず、覚せい剤中毒に陥ってしまった。覚せい剤中毒の日々を送る中、杉山さんはどのようにして更正することができたのだろうか? [嶋田淑之,Business Media 誠]
警察に現行犯で逮捕される可能性も高かったのでは?
「覚せい剤を長年常用するようになると、どうしてもワキが甘くなります。注射器とか証拠になるようなものを自宅に置きっぱなしにするとかしてしまいがちなんですね。でも、私はそういう点は用心深くて、覚せい剤はもちろん、注射器もはかりも常に携帯するようにしていました。
それに、当時、付き合っていた7~8人の女性の家を泊まり歩いて、1カ所に2日以上いないようにしていたんですよ。でも、ある女性に、私が別の女性といるところを目撃されてしまい、その彼女が腹を立てて、私のことを警察にチクッたんですよ。それで警察のガサ入れを受けるハメになりました」
逃亡2年、幻覚・幻聴に苦しむ日々
21歳になった杉山さんは、ガサ入れ直前に脱出し、逃亡生活に入ってしまった。
「名古屋の風俗嬢のところに逃げました。警察から逃げ、ヤクザからも逃げていましたから、いつチクられるかと、いつもびくびくして、もう誰も信じられない心理状態へと追い込まれていきました。夜も寝ないで打ち続けたりするわけですから、心身ともにおかしくなって当然です。
そして幻覚や幻聴が出ました。視野の端に入ってくる電柱が警官に見えてギョッとするんです。それでそっちを凝視すると電柱だと分かるんです。それと同様に、ミラーが視野に入ると、そこに映ったクルマのヘッドライトがパトカーの赤色灯に見えてしまう。でも凝視すると車のライトだと分かる。日常の生活全般が、そんなことの連続になるんです。
いつもおびえているものだから、被害妄想が高じて誰も信じられなくなり、かくまってくれている女性をぶん殴ったりしてしまったこともありました」と語り、杉山さんは思わず嘆息した。
禁断症状で震えが出たりしたのだろうか?
「それについては、世間的に、少し誤解があるように私は思います。覚せい剤を体に入れるとき、それが毒であることを体は承知しているので、体が『もう止めてくれ!』と反応し、それで震えが出るんですよ」
それにしても、その間の生活費はどのように工面していたのだろうか? 日々の生活費に加えて、覚せい剤の購入費用も多額に上ったと思われるが……。
「実は、19歳のころからパチプロとして収入を得ていましたし、クルマのディーラーをやっていた時期もあったので、それらによる貯蓄がそこそこあったんですよ。それに加えて、同居している風俗嬢の収入がありましたから、それでなんとかやっていました」
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