酒井法子と押尾学……この2人の違法薬物をめぐる事件は記憶に新しい。かつて覚せい剤といえば“遠いモノ”だったが、今では学生までもが手を染める時代に。こうした状況に対し、一石を投じようといている男がいる。ライブ活動などを通じ、世直しを図ろうとしている、杉山裕太郎さんに話を聞いた。 [嶋田淑之,Business Media 誠]
「実は私が生まれる前、長男を死産していたこともあって、子どものころから私は溺愛されていたんです」と杉山さんは幼少期を振り返る。
「自分で言うのも変ですが、私は正義感の強い優等生でした。先生の信頼も厚く学級委員を務め、クラスメートからもリーダーに祭り上げられることが多かったですね。
経済的にも恵まれていたと思いますし、自分自身の能力に関しても、何をやっても人並み以上にやれてしまうので、努力とか苦労を経験したことはなく、子どものころから世間を“ナメ”ていたと思います。例えば中学1年で書道の師範の資格を取りましたし……。また将来の夢は、歌手・ミュージシャンでしたね」
しかし、出世街道を突き進む父親は、優等生の杉山さんに全く別の期待をかけていく。
「世間体を何よりも重視する親でしたから、私自身の本当の思い、夢や希望には何ら関心を示さず、とにかく『一流大学→一流企業→社会の勝ち組』という人生を送らせることに夢中だったんです」と嘆息する。
多感な思春期を迎え、自分なりの夢も持ち、人には言いにくい悩みや迷いも持つ。しかし、そんなことには何の関心も示してはくれない両親の姿に、杉山さんは幻滅する。
「(両親は)いろんなことを私に言ってくるんですが、私のことを心配してではなくて、自分の世間体を守るためだというのが見えてしまうんです。私はつくづく思いましたね。自分は一体誰の人生を生きているんだろうか? これじゃあ、まるで他人の人生を生かされているみたいじゃないか! 私の本当の思いなど、誰も興味も関心もない……。自分は、誰にも愛されることのない無価値で不必要な人間なのかもしれない。
そうしたネガティブな思いがどんどん募っていって、私は自己肯定感を喪失していきましたし、親を通じて、次第に世間に対する不信感を強めていきました」
杉山さんは、何とも言いようのない寂寥(せきりょう)感、虚無感、疎外感を味わうようになっていった。もともと両親のことが大好きだった反動で、やがて自分と真正面から向き合おうとしない世間体第一主義の親を困らせてやろうと思うようになっていく。
ワルへの道をまっしぐら
「中学に入るころには、ツッパッている先輩たちを見てカッコイイなと思うようになりました。そして中学2年生になると、ヒョウ柄の財布を持って、ボンタンはいて、仲間たちと大垣の街に繰り出したんですが、当時はこっちがカツアゲされましたね(笑)」
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杉山裕太郎氏
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