「博多 一風堂」河原成美物語4 何を変え、何を守ってきたのか

2009.09.24

経営・マネジメント

「博多 一風堂」河原成美物語4 何を変え、何を守ってきたのか

ITmedia ビジネスオンライン
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人気ラーメン店「博多 一風堂」を展開する河原成美さん。長年にわたって日本のラーメン界をリードしてきた男の経営哲学は「変わらないために変わり続ける」こと。この経営哲学を通じて、一体何を実現してきたのだろうか? [嶋田淑之,Business Media 誠]

 そこで、力の源カンパニーの歴史をひも解いてみたのだが、それはまさに「絶えざる自社革新」の歴史そのものであり、あまりに多過ぎて、そのすべてを列挙することは不可能に近い。そこで主要なものに絞って、少しだけご紹介しよう。

 すでに述べたように、1994年の新横浜ラーメン博物館、1995年の東京のラーメン激戦区・恵比寿への出店の成功は、一風堂を全国区へと成長させた。しかし、それは一風堂各店舗への空前絶後ともいうべきお客の殺到を意味していた。

 「(通常の繁盛店でも1日500人なのですが、この時期は)1日1000人ものお客さんがつめかけ、スタッフ全員が大車輪で働いても追いつかない状態が続きました。商品のブレは大きくなり、接客態度も悪くなりました。慣れない忙しさに疲れ切っているから、『もう客なんて来なくていいのに』という態度を露骨に表してしまっていたんです」

 どの店舗もラーメンの味はバラつき、接客は覇気を失い、店内は汚れ、QSC(商品の品質・接客サービス・店内外の清掃)のすべてにわたって悪化した結果、会社の業績も停滞し始めたという。創業以来の「危機」に直面して河原さんが行ったこと――それが「10年目の原点」プロジェクトだ。QSCのすべてが徹底的に見直されたが、その中でも特筆すべきは、長年にわたって絶対的な支持を得てきた、一風堂の顔ともいうべき看板商品の総入れ替えだ。

 「今生まれ変わらないと“昔はうまかったラーメン屋”で終わってしまう。それで、これまでお客様に支持されてきた一風堂ラーメンすべてを捨て去ることにしたんです」

  そうして誕生したのが、あの「赤丸新味」と「白丸元味」であった。

 「ラーメン界のプライスリーダーでありたい」という創業時の想いに立ち返り、価格も高めに設定された。果たせるかな、使用する食材も調理法も極めて斬新ならば、味もまた独創的なこの商品は、発売するや爆発的なヒットを飛ばし、一風堂を代表する看板商品としてその後長く親しまれることになったのである。

  それだけの成功を収めつつも、1999年、スープの製法を抜本的に変更。2001年には、魚醤を使った全く新しい元ダレを開発。今日に至るまで革新につぐ革新の日々は続いている。

これからの時代の潮流をどう読むか?


 これまでの一風堂の歩みを振り返って、河原さんはこう表現する。

 「僕は今までの一風堂は、時代感覚で言えば、1970~80年代的な存在だと思うんですよ。団塊の世代の父親の背中を見て育った人たちが主要な客層になって支えてくださったと思います。しかし、時代は移ってきています。映画『Always 三丁目の夕日』のような1950年代から1960年代初頭にかけての時代を懐かしむ風潮が生まれていますよね。しかも、そうした昭和中期には生まれてもいなかった若い人たちが、そういう映画を楽しんでいるんです。

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