四半世紀にわたって、ラーメン界をリードしてきた「博多 一風堂」。その経営者・河原成美氏はどのような思いを込め、ラーメンを作り続けてきたのだろうか? 彼の人生を振り返りながら、ラーメンに対する熱い思いを紹介する。 [嶋田淑之,Business Media 誠]
そんなときにひらめいたのがラーメン店の開業だった。当時、福岡のラーメン店は豚骨が放つ強烈なにおい、無愛想で感じの良くない接客、清掃をあまりしていない不潔な店内というのが一般的。またそういう店ほどうまい、という常識が存在した。しかし一部の熱心なラーメンファンには支持されるが、どう考えても万人受けはしない。特に若い女性は「臭い・怖い・汚いの3Kだ」と言って寄り付かなかった。
「だったらレストランバー感覚の、女の子が1人でも安心して入れるようなキレイなラーメン屋を出せば、きっと喜んでくれるに違いないと確信したんですよ」
河原さんは長浜ラーメンの繁盛店で1年間修行を積み、日本全国のラーメン店の食べ歩きをした上でお店を開業する。
「停滞していた福岡、そして九州のラーメン界に一陣の風を吹き込みたい、時代の変化に即した変革を起こしたい、という気持ちが強くありました」
だから店名も「博多 一風堂」にした。店舗のデザイン、商品(コンセプト・製法・食材)、接客サービス、クレンリネス(店内外の掃除)――いずれも当時の常識を打ち破ったものだった。そして1号店は1985年10月、福岡市の大名に静かにオープンした。
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~「博多 一風堂」河原成美物語2 ラーメン界で何を作ってきたのか へ続く~
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「博多 一風堂」河原成美物語
2009.10.01
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