『機動戦士ガンダム』の監督として知られる富野由悠季氏が7月7日、東京・有楽町の日本外国特派員協会に登場、自らの半生や映画哲学などについての講演と質疑応答を行った。後半では質疑応答の内容を詳しくお伝えする。[堀内彰宏,Business Media 誠]
アニメという媒体の強み
――今のアニメスタジオはヒット作品を作らなければいけないのですが、小さな会社では中々リスクをとれないという現状があります。全体主義という話とも関連するのですが、これについてどう思いますか?
富野 (どういう作品がヒットするかという)問題に対して我々が回答を持っていないからこそ悪戦苦闘しているのであって、回答を持っていれば誰も何もやりませんし、勝手に暮らしていると思いますので、「成功する方法があったら教えてください」としか言えません。
僕が全体主義の言葉を持ち出した理由として、1つはっきりとした想定があります。「愚衆政治、多数決が正しいか」ということについては正しいとは言えない部分があるし、つまらない方向にいくだろうという部分もあります。本来、ヒットするアートや作品というものは絶対に利益主義から生まれません。固有の才能を大事にしなければいけないのに、全体主義が才能をつぶしている可能性はなきにしもあらずです。ただ、スタジオを経営するためには『トイストーリー』を作り続けなければならない、という事情があることもよく分かる。「じゃあそこをどういう風にするか」ということについては、やってみなければ分からないから、やるしかないのです。
――将来の夢ということで、ロボットのジャンルを使って全体主義の危険性について訴えたいとおっしゃっていたと思うのですが、ジョージ・オーウェル(※)についてどう思いますか。何か影響を受けていますか?
(※)ジョージ・オーウェル……著作『1984年』で全体主義国家によって分割統治された近未来世界の恐怖を描いた。
富野 誠に申し訳ないのですがジョージ・オーウェルは1冊も読んでいません。存在は知っています。コンセプトも解説文程度は知っています。なぜ読まなかったか、なぜ避けてきたかというと、もともと小説が読めない人間で、SFも読まない人間だからです。
ただ、オーウェルについて承知していることがあります。オーウェルの時代の言葉使いで語られている全体主義論、社会主義論は、現代に持ち込んだら伝わらないだろうということです。つまり、「作品として固有な存在であればあるほど、時代性の表現に取り込まれてしまって未来につながる表現になっていない」という感じがオーウェルからにおってきたというのが僕の感触です。
自分の恥を語るのですが、ハンナ・アーレントを知ったのは2008年です。ハンナ・アーレントの考え方は僕とかなり近いものがあって共感は持ったのですが、あの文章の書き方ではハンナ・アーレントが一般的に愛される政治哲学者になるとは思えませんでした。
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