がん手術の経験をもとに、筆者の先輩が闘病記を書いた。きっかけとなったのは、大病院で医師に感じた、“違和感”だったという。それは……?[郷好文,Business Media 誠]
S医師「ん……。最初は良性のように見えたんだがなぁ」
只野氏「良性とは血管腫ということですか?」
血管腫とはコブみたいな良性の腫瘍のことで、切除せずに済むケースもある。S医師は言葉を継いだ。
S医師「でもねえ、この造影剤の入り方を見ると、単純な良性ではないなぁ。やはり胆管細胞がんではないか。胆管膵(たんかんすい)外科を受診してください」
「胆管細胞がんではないか」――これが患者へのがんの宣告だった。呆然としていただろう只野氏は、胆管膵外科に回され、若手医師が応対。「誰それ先生がこうしてああしてくれますから」と複数の医師名を告げられたが、医師の名前より自分の病気でアタマがいっぱいの只野氏、名前なぞアタマに入らない。しばらくして偉い(?)先生が現れて言った。「1カ所だけですから、外科的に切除することでよいと思います」(『我が闘病』第4章)
決まれば早い。若手医師が電話をかけまくって上部内視鏡(後に胃のことだと判明する)と下部内視鏡(同じく後に腸のことと判明)、採血、尿、心電図と検査ラッシュの日取り決め。どの検査が何のためかも説明もそこそこ、「引越屋真っ青の手際のよさ」と述懐する。
さらに「心臓が外科手術に耐えられるか検査が必要だ」と言われ、只野氏は循環器内科へ。そこでもまた“あなたは肝臓がんの患者で、私のミッションは手術で心臓が問題ないか判断するだけ”という印象を受けたという。
がんの宣告に当たっては、患者の心より臓器ばかりをケアするのだろうか。診療機能面からするとそれは当然ではあるが、こんな扱いをされるとツラい。
左は緑の薬剤、右は採血
只野氏は12月上旬に循環器内科に入院、心機能検査受診から始まり、肝臓外科に転科して肝臓手術、2009年1月の再入院での心臓血管手術まで、“患者主体ではない体験”を検査や採血などを通じていくつも積み重ねていった。手術当日の肝機能検査ではこんなことがあったという。
「当日朝5時に研修医がやってきた。左腕を縛り右腕も縛って、『おっ、胸の上に何か置いたぞ?』と思うと、ピッピッピと電子音が鳴り出した。『何だろう?』と思っていたら、『終わりましたよ』と言うから、『どんな検査をしたんですか?』と聞いたんだ」
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