~高度成長からバブルを駆け抜け、さらなる未来へ~ 1980年~90年台にかけての日本経済のバブルが膨れ上がって破裂前後の頃の、筆者のドロドロの商社マン生活の実体験をベースに、小説化しました。 今も昔も変わらない営業マンの経験する予想を超えた苦楽物語を、特に若手営業マンに対して捧げる応援メッセージとして書きました。
第三章 初めての海外出張
宮田の心の中には、柴田の話を聞いていて、いろいろ困難はあるけ
れど、いち早く海外に行って、見ず知らずの異国の地で、思いきり
ビジネスをし、結果としてその国の人々の喜ぶ顔を見てみたいとい
う思いが沸々と湧いてくるのであった。
柴田の話を聞いて興奮した新人時代からからあっという間に3年と
いう月日が経っていた。
お客様のさらにその先にいるお客様や、市場のニーズから
把握するという考え方を頭の隅に叩き込んだ宮田は、その後、日本
非鉄金属の狙うべき市場ニーズに目をつけて、日々の営業
活動を行うよう努力していった。
その結果、徐々にではあるが、最初は冷たかった宇都宮工場の人々
も、宮田がもってくる話に耳を傾けてくれるようになり、行けば向
こうから
「宮田さん。今日は何か面白い話ないの? 欧米の客の動きとか?」
と声を掛けてくれる資材部や設備部の人も現れてきた。
中には、
「宮田さん。本社の購買部の物買部長、今季限りって聞いたん
だけど、本当? その後、誰が部長になるのかな?」
などと、本社の人事の動向まで聞かれることもままあった。
< そら、本社購買部にもしょっちゅう出入りしてるから、情報
確かに入ってくるけど、そんなん、はい、こうなりますとか、
飛ばされますとか、言えるわけあるかいな >
圧延機などの大型商談こそまだ扱う実力には至らないものの、中規
模程度の設備商談には、関の相変わらずの荒っぽい指導の下、何と
か自力で引き合いを取り、受注することもたびたび出来るように
なった。
また、大型案件については、まだまだ仕掛けの段階が精一杯であっ
たが、においを感じるところまでは到達し、なんとか新規大型案件
を創出できるであろう実力がついてきたようであった。
宮田は、先輩の関がかってアルミ缶のニーズに目をつけたと
同様、日本非鉄金属自身が次に着目しなくてはならないニーズ
を必死で探そうとしていた。
宇都宮工場に通う以上に、頻繁に柴田や同期の森永らがいる非鉄金属
製品部に足しげく通って、世界の非鉄金属業界の資源開発状況や、非
鉄金属の新しいアプリケーション分野、その潜在顧客など最新情報交
換や相談をしていた。
日本非鉄金属協会など公的な関連機関にも訪問して人脈を構築し、
情報収集にいそしむ毎日を送っていた。
< 大きな流れをつかむだけやとあかんねんやろな。
日本非鉄金属という会社にも歴史があり、企業文化があり、
企業理念があり、企業戦略がある。先人が築き上げたその
大きな流れに乗ったものでないとあかんやろな >
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