【弊著・予告最終編】欲望は、人を惑わせもするし、成長させもする。欲の持つこの陰と陽の2面をいかに自己コントロールするかが、よりよく働く上で重要な分岐点となる。
欲望自体は滅することもできないし、また、そうする必要もない。
善にも悪にもなりえる欲望は、そのコントロールのしかたこそが問題なわけです。
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欲の持つ善悪2面性は、とてもあいまいでとらえにくいものです。
その善悪2面は、表裏一体でありながら、表と裏は境目がなく、つながっています。
私は、本著で欲望のもつ2面性を「メビウスの帯」としてとらえました。
図のように、欲のもつ陽面を<欲望X>、陰面を<欲望Y>とすると、
欲望Xと欲望Yは、表裏一体でありながら、ひとつながりのものになるわけです。
(コインの表裏のように、表裏が明確に断絶されているわけではない)
例えば、
一人の為政者が権力を持って「正義を行ないたい」という欲は、
いつしか知らずのうちに「独善を強いる」欲に変わっていくときがあります。
また、よく芸人は「遊びも芸の肥やしだ」と言って、奔放に遊びますが、
これは「立志・求道」という欲求からのものでしょうか、
それとも「享楽・奢欲」という欲求からのものでしょうか。
さらに、欲を和らげる方向にも、こうした2面の組み合わせがあります。
「清貧」でありたいは、「無頓着」で済ませたいということにつながっていますし、
また、「無欲」でいたいは、「怠惰」でいたいとつながっています。
結局、欲望を「陽面」でコントロールし、自分を昇華させることができるのか、
それとも、欲望の「陰面」に翻弄され、そこに堕してしまうのか、
ここがひとつの重大な、幸福と不幸の分岐点があるように思います。
そして、この分岐点において、自分がどのような「心持ち」をするかこそが、
最も根源的な問題となりましょう。
これは各人の価値観、哲学、思想といったものが作用する場面であり、
私がとやかくいえるものではありませんが、
一般論としては、私は、
「大我的・調和的に、開いた意志」の心持ちをするのか、
「小我的・不調和的に、閉じた感情」の心持ちをするのか、
それがひとつの分け方になるだろうと提示をしました。
下の図は、それを統合的にまとめたものです。
私は、今回の本を書くにあたって、いま一度、
偉人、事を成し遂げた人、知の巨人たちの古典名著を数多く読み広げましたが、
やはり、彼らは例外なく、
「おおいなる心持ち」をして、
「おおいなるもの」を感得しているように思います。
著書で引用したものをいくつか紹介しましょう。
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「教えてほしい。いつまでもあなたが若い秘密を」――――
「何でもないことさ。つねに大いなるものに喜びを感じることだ」。
(ゲーテ『ゲーテ全集1』)
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新著サマリー
2007.08.07
2007.07.27
2007.07.21
2007.07.14
2007.07.11
キャリア・ポートレート コンサルティング 代表
人財教育コンサルタント・概念工作家。 『プロフェッショナルシップ研修』(一個のプロとしての意識基盤をつくる教育プログラム)はじめ「コンセプチュアル思考研修」、管理職研修、キャリア開発研修などのジャンルで企業内研修を行なう。「働くこと・仕事」の本質をつかむ哲学的なアプローチを志向している。