~高度成長からバブルを駆け抜け、さらなる未来へ~ 1980年~90年台にかけての日本経済のバブルが膨れ上がって破裂前後の頃の、筆者のドロドロの商社マン生活の実体験をベースに、小説化しました。 今も昔も変わらない営業マンの経験する予想を超えた苦楽物語を、特に若手営業マンに対して捧げる応援メッセージとして書きました。
それにしても、なぜ電話と机だけで、そんな大型商談を
リードできるのだろうか?
何か仕掛けがあるに違いない。
でないと、工場や研究施設をもっているわけでもない
商社に対してそんな大きな注文を出すはずがない。
その仕掛けとはいったい何なんであろうか?
ますます悶々としてくる宮田であった。
< 机と電話したあれへんこんな会社に何でそんな
契約を任すんか、やっぱりわかれへん?
どう考えてもわかれへん・・・ >
翌日、いつもの様に早朝から出社した宮田は、
目の前に置かれたテレックスの山と格闘していた。
関から、それを全部読んで、今日中に内容をまとめて
おけと昨日から命令されていた。
テレックスというのは、パソコンによるe-メールなどの
インターネットが普及する前に、海外と安く交信できる
通信手段として広く普及した通信技術のひとつで、
大日本商事も海外との交信は、主にこのテレックスか
ファックスを活用していた。
今で言うところの情報システム部である電算室にて
全世界の拠点から発信されるテレックスが受け付け
られ、巻紙上の紙の上に印字され、毎朝一番に本社の
各部門に一斉に配布される。
新人の重要な役割のひとつに、その巻紙に案件ごとに
印字されたテレックスを、案件ごとに物差しで綺麗に
切り分けて、各課に配布するという朝一番の仕事が
あった。
インクで印字された新しいテレックスを読むのは、
刷り上った新聞を、誰よりも先に読むのと同じような
緊張感とうきうきした期待感があった。
テレックスに書かれている日本語は、全てがローマ字で
記載されていた。
相当慣れなれないと読めるものではない。
宮田にはどの文字も同じに見え、内容を把握する
どころか、一時一句読むことさえままならなかった。
周りを見回すと、自分以外の皆は、朝一番から
このテレックスを片手に電話でわいわいがやがやと
取引先などと議論しあっている。
この光景をぼーっと見つめていた宮田に、やさしいさわやかな
声が響いた。
「宮田君! テレックスの読み方 教えてあげようか!?」
目の前に座っている篠原由美子が、あごに両肘を付いて
こっちをみてニコッと微笑んでいる。
篠原由美子は、宮田の1年先輩であり、横浜の短大を出て、
大日本商事に就職し、この機械・プラント本部第三課に
一般事務職として配属となった。
横浜のお嬢さんといった感じの雰囲気を持っており、
すらっとした長身、長い黒髪、色白な顔に切れ長の
美しい目が知性を感じさせる都会的な美人である。
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商社マン しんちゃん。 走る!
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