~高度成長からバブルを駆け抜け、さらなる未来へ~ 1980年~90年台にかけての日本経済のバブルが膨れ上がって破裂前後の頃の、筆者のドロドロの商社マン生活の実体験をベースに、小説化しました。 今も昔も変わらない営業マンの経験する予想を超えた苦楽物語を、特に若手営業マンに対して捧げる応援メッセージとして書きました。
第一章 田舎学生から激動の社会人生活へ
大日本商事は、売上高7兆円、業界で4位の位置に
ある総合商社である。
全世界に130箇所以上の現地法人、出張所などを
持ち、従業員7000名。
輸出、輸入、国内取引、三国間貿易、投資案件、新規
事業開発などを手がける。
本社は25階建ての真っ白いビルで、東京赤坂見附
にあり、鉄鋼輸出本部、国内鉄鋼本部、非鉄金属本部、
船舶本部、航空機本部、自動車本部、重工プラント本部、
化学プラント本部、通信プロジェクト本部、ガスエネ
ルギー本部、食料本部、化学品本部、繊維本部など
20以上の利益を稼ぎ出すビジネス系の本部があり、
あとは、財務関係、広報関係、情報システム関係など
バックエンドでビジネスを支える
管理系の本部から構成される、本格的な総合商社である。
取扱品目は多岐に渡り、俗に「ラーメンからミサイル
まで」と言われている。
宮田真一が配属されたのは、6階にある重工プラント
本部の機械・プラント部第3課であった。
部の総勢は約50名、その中には4つの課があって、
それぞれの課は、機械・プラントと名の付くもので
あればなんでもビジネスにするべく、世界各国、色々
な領域の機械・プラントの商談を展開していた。
また、部の傘下には、10の子会社を統括していた。
「おーい。宮田君。
これから栃木県の宇都宮というところに出張に行って
くれ。
そこに日本非鉄金属工業の宇都宮工場があるんだ。
その会社は日本で有数のアルミニウム圧延工場で、
うちの大のお得意様なんだ。
そこで、うちが受注した圧延設備プロジェクトの
キックオフミーティングがあるので、そこに参加して、
議事録を取ってきて欲しいんだ」
昨日の一件から気を取り直して、朝7時30分から、
はりきって出社した宮田は、課長の細川から呼び出さ
れた。
まだ東北新幹線が開通していない中、栃木県宇都宮まで
行くには、大変時間を費やした。
上野駅から、東北本線で宇都宮まで電車で2時間。
そこからタクシーで40分。 合計約3時間かかって、
やっと到着した日本非鉄金属工業 宇都宮工場の周囲
には、東京の喧騒の街中とは違い、青々とした田んぼが
広がる広大な田園風景が広がっていた。
<どうでもええけどメッチャ遠いな・・・>
門の前では、課長代理の関が宮田の到着を今や遅し
と宮田を待ち構えていた。
関と一緒に入門手続きを終え、工場の中に入った。
「うわー。アルミの工場って大きいんですね」
驚く宮田に関は誇らしげに言った。
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