今やマンションの必需品となった宅配ロッカー。そのシステムを日本で初めて立ち上げ、ダントツのシェアを誇るのがフルタイムシステム社だ。圧倒的なポジション獲得に到る同社の経緯に迫る。
第2回
「郵政省説得のための本社移転」
■知らなかった郵便規則の存在
「誠にお恥ずかしい話ですが、規則を知らんかったんですよ」
なぜか郵便小包だけが届かない。顧客からのクレームが気づかせてくれたのは、郵便物に関するある規則の存在である。郵便小包は受領印か受取人のサインがないと配達してもらえないのだ。つまり無人の宅配ロッカーでは対応できないことになる。
「郵便局の中には荷物を入れてくれてたとこもあるんです。ただ規則上はあかんという指導が出ました」
原社長がサービスを始めて5年、91年のことである。大手デベロッパーが宅配ロッカーに興味を示しながらも、採用に踏み切らなかった理由は、この郵便規則の存在にあった。それならば、もし規則を変えることができれば、一気に爆発的に普及が進む可能性があるわけだ。
「これはもうやるしかないと。当時の郵政省に直談判に行ったんです。ところが、何というても規則ですから、そうは簡単に変えてもらえるわけがない。郵政省さん自体は現状で何も困ってるわけやないしね」
郵政省サイドからすれば現在の規則で何ら不都合はないのだから、それをあえて変える必要などまったく認められないということになる。原社長もあらゆる限りの人脈を使ってアプローチをかけるものの、最初の間はそれこそ木で鼻をくくったような対応しかしてもらえなかった。
「あるとき、帰り際に役人さんに言われたんです。原さんとこは大阪でしょう。いつ大阪に帰らはるんですかって。これで目が覚めた。結局相手に真剣さが伝わってなかったんです。宅配ロッカーを認めてもらえるかどうかに、我が社の運命はかかってる。それやったらとことん腹を据えて交渉に臨まんかったら、相手を動かせるわけがないと」
そこで原社長は一大決断を下す。なんと大阪にあった本社を、東京に移転するのだ。そして原社長自身も東京に家を買い、そこに移り住んだ。腰掛け気分では決して説得できないし、そもそもそんな浮ついた気持ちでは、自社にとっての一大転機を乗り切ることはできない。まだ遠くにではあるけれどもはっきりと見えている成功をつかむため大きな賭けに出たのだ。
←お客様にとっては郵便小包も宅急便も同じ荷物。
どちらも同じように受けとれてこそ価値がある。
■お客様のためと思えば規則も変える
「結局、3年かかりましたな。それでやっと郵便規則を変えてもらえました」
3年もの間ほとんど毎日のように交渉のため霞ヶ関に通ったという。『男の一念、岩をも通す』の言葉を信じてタフな交渉が続けられた。
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FMO第18弾【株式会社フルタイムシステム】
2009.01.13
2009.01.06
2008.12.22
2008.12.16