教育に携わる人に心がけて欲しいことがあります。 それは 「身近に自分のことを“バカ”といってくれる友人を持つこと」 です。
本投稿記事は、毎日更新中のZ会ブログ
http://www.zkaiblog.com/histaff/
の話題を元に、本サイトの読者層に合わせた形で修正しております。
先日、とある省庁の(学生時代からの)友人を訪ねました。
※厚生省関係の、あの凄惨な事件の影響で、警備はとっても厳しかったですね…
いろいろと仕事に絡むお話もしたのですが、友人だからこそ出来る話も。
その中で友人曰く
「最近入ってくる若手(=いわゆる「キャリア官僚」になりたてくん、です)は、“時間がなくてできませんでした”(=能力が高い自分ができないのは量が多かったからだ、ということ)と堂々という。
プライドも自分たちの頃よりずっと高いけど、実際には仕事も遅いし、能力的にもできていないことがいっぱいある。だけどそれに気づいていないんだよね、本人…」
と。
注)僕が知っているキャリア官僚の多くは、マスコミが騒ぐような悪い人たちじゃなく、人の為になにかしなきゃね、という意志に溢れた人ばかりです。国家公務員なんてわんさかいるのに、悪い人だけを報道するマスコミの姿勢にはいつも辟易しています。
相対比較から絶対比較へと学校教育における評価が変わり、「(自分は)能力がない」と言われることで、自分の実力を知り、さらに高みを目指す、という過程が行われにくくなっているのは確かです。
もちろん、「能力がない」と言われることによる一時的な精神的ショックを回避することはできますが、一方で「能力がない」と余りにも言われないことは、これもまた問題だと思っています。
そのまま社会人になってしまうと、そこから当人の姿勢を変えるのが至難の業になりますから。
上記の例がまさにそうで。
人に何かを教える立場になることが多い人ほど、「自分はまだまだできないんだ」と強く思う必要があります。
なぜならば、「先生」をはじめとする「教える立場」の人は、基本的に「知らない状況」かつ「知らなくて当然」の「自分より無知であることが前提の立場」の人間に対し、自分が知識を「与える」ことで、他人からの感謝を得、評価もされるが故に、「自分は物知りなんだ」と錯覚しがちだからです。
単に「教えられている方」が知識的にない立場(つまり、年齢が若い)にいるから、自分の方が知っているーそれだけなのに。
この錯覚に陥っている教え手は、恐らく同じ年齢の人よりずっと無知だと思います。
中学生より高校生の方が知っていて当然。
高校生より大学生の方が知っていて当然。
大学生より社会人の方が知っていて当然。
…そんな状況を弁えず、年少者に「私は物知りでしょへへへん」という態度を見せ(それ自体は構わないとは思いますが)、「すごーい!」と言われることに浮かれていると、どんどん他の人より知識の獲得は遅れます。
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