福岡での小1殺害事件、なんとも悲しい結末になったようです。。。 こういう事件があるたびに感じるのは、社会全体が「子どもを産むことが怖い」あるいは「損だ」(=一生懸命育てても何に巻き込まれるかわからないから)のような風潮になるのを避けたいということです。
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「損する」という感情を「抑止」するために、子どもを産まない、という選択肢をとる。。。
こう考える人たちが多くなった社会は、決して幸せな社会とは言えないでしょう。
子どもを産む、産まない、それは個人の自由かもしれませんし、身体的・精神的な制約によって「産めない」人もたくさんいらっしゃるかと思います。
また、子どもが欲しくても、相手が見つからないという方もいらっしゃると思います。
※これ、結構切実なんです。僕もモテませんでしたので(苦笑)、両親から「はよ結婚せえ!」とたびたび言われた言葉に対しては、心の中で「相手がいないんじゃ!」と叫んでいました(かといって、両親が無理に薦めた相手もうまくいかないと思っていましたし)。
ただ、人間という生き物が作る社会全体をして、「産まない」という選択肢を「必要以上に」あるいは「消極的な理由で」選ぶようになるのは、健全な社会とはいえませんし、そもそも「種の保存」という思想性に反する成員が多くなる社会は、果たしていかがなものでしょうか。
そんなわけで、やはり「子どもを産んで育てたい!」と思う人、あるいは自らが出産に関わらない(関われない)でいても、「子どもってかわいい!」「子どもって素敵!」と純粋に思う心が世の中に溢れていて欲しいと思うのです。
今回の福岡の事件は、本当に悲しいことなのですが、事件の報道を追う過程で目にした出来事や共感したこと、そして思ったことを3つほどお伝えし、「今の日本社会って…」というステレオタイプ的な愚痴に流れないよう、前を向く気持ちにできれば、と思います。
1.母親が逮捕されたニュースが流れたとき、「やっぱりな、と言わなきゃならんのが悲しい」というコメントへの共感者が多かった。
Yahoo!上で見た一言感想において、2位以下のポイントを2倍以上引き離して、ダントツの1位のポイントを稼いでいたコメントでした。
この短い言葉に、僕も全く同じように感じました。
マスメディアで報道されている記事だけを見ていると、逮捕された母親に対する疑念がゼロだった方は少ない方ではないでしょうか(これも「残念ながら」とでも申しますか…)。
しかし、だからといって逮捕前に「母親でしょ」のようなコメントを軽々しく口に出したり、ネット上に書き記したりするのは、「個人の揣摩臆測」を「表現の自由」ということを振りかざして他人に叩きつける暴力以外の何者でもありません。
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