先人の培ってきた歴史を大事にするということと、過去にアウトプットした成果物をそのままにしておく、あるいは、過去のやり方をそのままにすることは、違いませんか? 逆に、新しいやり方ばかりする人というのは、本当に先人の想いを引き継いでいないのでしょうか?
◆本投稿記事は、毎日更新中のブログ
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の話題を元に、本サイトの読者層に合わせた形で修正しております。
現在、自社(Z会)の新社屋をJR三島駅前に建設中で、来年2月に多くの社員が新社屋に移る予定になっています。
引越しの機会に、部署の荷物をできるだけ少なくしたいので、今日午前、部署の棚にあるファイルの中身を確かめながら整理していたんですが…
でるわでるわ、10年以上前の書類が(苦笑)。
経費伝票など、7年間保存義務のあるものは別棚によけてありますので、純粋に「10年以上前に行った活動の資料を取ってある」だけなんですよね…。
ボンボン捨ててしまいました。
過去を大事にするということ、伝統を重んじるということ、先人の想いを受け継ぐということ…
これらはすべて、過去のモノを残すことを直接的に指すのではなく、前任者がしっかり次の任務者に「具体的な任務(作業)」と「任務の意味合い」を伝え、次の任務者が歴史の想いを感じ、そして
「新しい活動に、過去学んだことを活かしていくこと」
に他なりません。
過去と同じ活動をする、ということが、過去を大事にすることではないこと、(理屈では)お分かりになるのではないでしょうか。
誤解のないように申し上げますと…
僕のような「新しいもの好き」の「好奇心旺盛」な人間の活動を認めていただいていますので、Z会そのものは「温故知新」の精神が溢れている会社だとは思います。
あくまで「今回の事象」を見たとき、これはひょっとして「過去を大切にする」という表面的なことに囚われてきた人間が行った行為かな、改めなきゃいけないな、と感じただけです。
閑話休題。
僕自身、新しいもの好きではあるものの、自分の世代の人間と比較すると、伝統や歴史の価値を重んじる方だと思います(田舎育ちですから…)。
身内、あるいは僕に近い距離にいる人間は、みんなそう思ってくれています。
けれど表面的に見たら、古い「モノ」は必要がなくなればボンボン捨てますので、「寺西は昔を大事にしない奴だ」と思われているかもしれません。
そんな僕が逆に感じるのは、過去のやり方をそのまま踏襲する方が、よほど昔を大事にしない行為ではないか、ということです。
多分過去の資料を後生大事に溜め込んでおき、仕事のやり方も過去のまま、という人は、昔のやり方を「捨てる」ことによって何か問題が起きると嫌だ(=責任を取りたくない)、という気持ちが強い上、人が「捨てる」行為をしていると「過去を大事にしなくていいのか」という一見正論を言う、実はただの保身目的が強いだけの人のような気がします。
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