北京オリンピック金メダリスト、内柴正人選手。 金メダルを取った直後のコメントに見たプロ意識は、今の企業内人材教育の中で最も大事なことの一つだと感じています。 そんな内柴選手、ブログの中でこんなことを書かれていました。
◆本投稿記事は、毎日更新中のブログ
http://www.zkaiblog.com/histaff/
の話題を元に、本サイトの読者層に合わせた形で修正しております。
北京五輪金メダリスト、柔道の内柴正人選手がコマメに書いているブログ「内柴一家の秘密の扉」があります。
9月16日付け、下記ブログを御覧下さい。
http://blog.livedoor.jp/masato_uchishiba/archives/51208131.html
気持ちがとってもよくあらわれて、僕自身もこの気持ちがよーくわかり…
そして、物心ついた頃の若い人に、しっかり分かっておいて欲しいメッセージがたくさん含まれている内容でした。
内柴選手のTシャツが、「さもしい」心を持った人たちによって、本来の価値が失われていく様子が描かれています…。
まず、最もさもしい方。
「応援してやってんのにそれ(=Tシャツ)くらいくれよ」
という心が強い人。
内柴選手のブログ中にある「三分の一の人が金を払うならいらない」にあたる人ですね。
応援に、見返りなんて求めてはいけません。
自分が応援したいから応援する、それが根本的な気持ちです。
だから逆に、応援しないのも自由なんでです。
ところがどうでしょう、「これだけ応援してやってるのに」という、さもしい心もった人を見かけたことありませんか?
じゃあ応援しなきゃいいんです。
応援してくれた事に対する感謝の気持ちとして、応援された側は応援した人間に施し、それにまた応援したいという気持ちが湧く。
これが「感謝」と「ありがとう」の循環です。
そもそも応援してくれた事に対し余り感謝の念が湧かない人には、応援される側は施さなくて良いですし、応援する側も応援しなければ良いでしょう。
その結果として淘汰された「スター」と、それを取り巻く「集団」が、最も「感謝」と「ありがとう」の循環ができていることになるでしょう。
また、内柴選手が「三分一が渋々」と表現されている方たち、この人たちもさもしいですね。
「Tシャツなんかで金儲け考えるなよ」
というのが心のどこかにあるのでしょう。
Tシャツ作るのもお金がかかるんです。
デザインをする人もいます、物流を担当する人もいます。
そんな人たちは自分の大切な時間を犠牲にして、Tシャツに関わっているんです。
その部分にお金なんて必要ない、と考える心が、さもしいのです。
このテのお金を「ただ」にできる「一般人」は、ひとえに「スター」との関係性が強いから、によります。
たとえば「スター」の身内や、「スター」が「スター」ではない頃から応援してくれ、そのことを「スター」も認知している人。
そういう人に対しては「スター」も「有名になったからちょっとはお返しに」と、Tシャツをただでプレゼント、ってことも当然起こりえます。
「スター」になってから「(熱烈に)応援している」という行為だけで、すべてのコストがただになる、なんて思っちゃいけませんよね。
「自分がこれだけやってあげているのに」という心は、あくまで自分の価値観です。
他人の価値観の中に入り込む真剣さが、本当の「心ある」行為です。
そんな「心ある」人は、「自分がこれだけやってあげているのに」とは決して思わないでしょう。
教育を通じて伝えたいことですね、こういう心のあり方は。
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