毎年この時期になると「サマータイム導入」が論じられるが、今年は特に洞爺湖サミットを前にして政府の気合いが入っているようだ。「諸外国はみんなやっている」そうだが、「時計の針を国中が一斉に1時間進める」というのは、考えてみれば随分と不自然なコトではないだろうか。
平成も20年まで来ている昨今、戦後の復興期や高度成長期の如く、「みんなが一斉に同じことをする」というのはどうにも世の流れに馴染まないように思うのだが、「環境」というキーワードも前にはいけない考え方なのだろうか。
「サマータイム導入による環境負荷軽減効果」に関しては、いくつかの疑義が寄せられている。また、労働効率の観点からも、時計を進めたからといって、仕事は早く終わらないという反対論もある。
全ては「全員一律」で事を進めようとするから問題になるのではないだろうか。
「自主サマータイムのススメ」である。
朝、早く起きられる人、筆者の如く、朝の空気の好きな人。そんな人は積極的に早起きすればいい。たまに早起きするのではなく、この季節はできれば毎日。そして、早起きの効用を説けばいい。共感してくれる人が試し、気に入ったら実践し、また、仲間を増やせばいい。
朝の清々しい空気のうちに仕事ははかどり、薄暮の迫る前に仕事を終えようという気になるかもしれない。エネルギー消費量も抑えられるし、業務効率も上がるだろう。そんな人が自然に増えるような「自主サマータイム」の呼びかけをすればいいのではないだろうか。
「環境負荷軽減の取り組みは、もはや一刻の猶予もないのである」という論もあるかもしれない。しかし、「サマータイム導入」の前にやるべきことはもっとたくさんあるように思う。
蛇足ながら、「サマータイムつながり」で、筆者の好きな歌を一つ。ジョージ・ガーシュウィンのオペラ『ポーギーとベス』より、「サマータイム」。
Summertime, and the livin' is easy.
Fish are junpin' and the cotton is high.
Oh your duddy is rich , and your ma is good lookin'.
So hush, little baby, don' yo' cry.
サマータイム・・・。過ごしやすい季節。
魚は跳ね、綿花は伸びる。
あなたのパパはお金持ち。ママは美人。
なにも心配することはないの。泣くのはおよし。
オペラの内容は1920年代の黒人たちの過酷な生活を描いたものであり、”Summertime, and the livin' is easy.”は、事実よりもむしろ願いや祈りにも似た歌詞だといえる。
今日の日本の経済環境、労働環境は当時の黒人たちに比べれば天国のようかもしれないが、衰退と劣化の兆しが見て取れるのは否めない。また、日本の夏は決して「過ごしやすい季節」ではない。
しかし、その中でも「過ごしやすい時間」である、早朝と、夕方の時間の使い方は、一律に時計を進めて同じような行動を促す無粋なことをするのではなく、思い思いに過ごさせて欲しいと思うのだ。
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2008.06.13
2008.06.19
有限会社金森マーケティング事務所 取締役
コンサルタントと講師業の二足のわらじを履く立場を活かし、「現場で起きていること」を見抜き、それをわかりやすい「フレームワーク」で読み解いていきます。このサイトでは、顧客者視点のマーケティングを軸足に、世の中の様々な事象を切り取りるコラムを執筆していきます。