毎年この時期になると「サマータイム導入」が論じられるが、今年は特に洞爺湖サミットを前にして政府の気合いが入っているようだ。「諸外国はみんなやっている」そうだが、「時計の針を国中が一斉に1時間進める」というのは、考えてみれば随分と不自然なコトではないだろうか。
歴史をひもといてみれば、日本でもかつてサマータイムが導入され、そして廃止されている。敗戦後、GHQの占領下において、1948年公布された夏時刻法だ。それこそ「米国がやっているから」という理由で導入されたのだが、しかし、1952年4月の占領終了に伴い、日本には馴染まないということで廃止された。
今度は「環境負荷軽減」が錦の御旗になっている。環境負荷軽減には賛成だが、サマータイムには筆者は一貫して反対している。もはや年中行事の感もあるが、今年も反対論を展開しつつ、一つ、対案を提示したい。
最も日照時間が長いこの時期、残念ながら空は雨雲に覆われていることが多いのだが、今日、東京地方は「梅雨の晴れ間」で快晴。いっていい朝を迎えている。こんな日は僥倖に感謝し、朝の柔らかな陽光と、湿気を帯つつ幾分ひんやりとした空気が満喫できる。
今朝は5時半に家を出た。この時間に仕事に向かうことは年間を通して比較的よくあることなのだが、正直、冬は辛い。まだ星が暗い空に瞬いており、寒気もひとしおである。それがやがて春に向かい、同じ時間でも空が明るくなっているようになり、寒さも和らいでくる。そして、初夏こそが、この時間の最もすてきな季節なのだ。
これが、時計を1時間進めてしまっていたらどうだろう。本来の太陽の運行に合わせた自然な季節の移り変わりが感じられなくなってしまう。
さて、仕事が終わったあとのこと。6時半には仕事を始めると、だいたいの場合、12時間か12時間半もあれば一区切りつく。18時から18時半に仕事を切り上げる。日は傾いているものの、空はまだ十分明るい。この季節ならではの格別なうれしさだ。
時計を進めてしまっていたのなら、19時か19時半。サマータイムにしていないからこそ、空が明るい時間で18時台なのだ。1時間のアドバンテージは大きい。
この季節こそ、辛くなく、朝早く起きることができて、加えて終業後の時間も長くとれる。「まだ明るい時間に仕事を終え、その後の時間を有効に使う」というサマータイム導入の効用を説くのであれば、時計を進めてしまっていたのでは、結局は終業時点の時間は遅くなるので、本来的な意味は乏しい。
同じ時間に規則正しく生活をし、季節の移り変わりを体感する。これは、四季の変化が豊かな日本に生まれたからこそ、享受できる感覚だといっていいだろう。しかし、ものごとの感じ方は人によって異なる。前述のような喜びを感じる人もいれば、全く関心がない人もいるだろう。それはそれでいい。ところが、サマータイムの導入は、全ての人の時計を強制的に1時間進めてしまうのだ。やはり不自然ではないだろうか。
この季節の朝の明るさを楽しむ筆者にとっては、1時間進んでしまえば、その前の季節と同じく、まだ薄明るい空の元、目覚めなければならないことになる。
朝型のワークスタイルで終業後の陽の明るさを楽しむ人でなければ、まだ明るい19時や19時半は、「もう一仕事」とさらなる残業に突入してしまうかもしれない。
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2008.06.13
2008.06.19
有限会社金森マーケティング事務所 取締役
コンサルタントと講師業の二足のわらじを履く立場を活かし、「現場で起きていること」を見抜き、それをわかりやすい「フレームワーク」で読み解いていきます。このサイトでは、顧客者視点のマーケティングを軸足に、世の中の様々な事象を切り取りるコラムを執筆していきます。