2008.06.06
世界を変える会社の作り方~2~
山口 揚平
~スタートアップ期(2年間)に生じる壁と対策~ 会社とは何か、事業とは何か、お金とは何かといったことをお話したいと思います。 私は起業を決意して、行動を起こし、何度も何度も失敗を繰り返し、ようやく2年を乗り切った新米の経営者です。まだ成功しているわけではありませんが、私がなぜ起業をし、何に失敗し、何を学んだのかについて率直にお話することで、皆さんの将来の糧にしていただければ幸いです。
2章 違和感――会社は売り買いするものなのか?
違和感からウツ病を患い…
しかし、少しずつ違和感を覚え始めていたのも事実でした。自分がやってきたこと、本当にやりたかったことは何か? 日本政府や日本企業を相手に、いわゆる“ガイシ”の手先として株主資本主義を推進することなのか?
子どものころ、純粋に会社は社長のものだと思っていました。でも、M&Aのキャリアでは別の答えを教えられました。「会社はキャッシュマシーンに過ぎない」と。
「キャッシュを生まないこのドームをどうして閉じないのか?」
再生企業の取締役がずらーっと並んでいる前に、ファンドの人が3~4人いて、こう問いかける。私たちはファンドの後ろでそのセリフを聞いていたわけですが、そもそも「会社って売買していいものなのか?」と不思議でなりませんでした。
この企業はもともと三セク(第三セクター)で、地域出身の人が地元を活性化したいという思いで作ったものでした。子どもたちに楽しく遊んでほしいというのが本質。そこにおけるキャッシュは血液。そこには意識、信念が通っているはず。でも、本質的なものは何も議論されない。非常に違和感を覚えました。
当時はまだ若く、上司からほめられることが何よりうれしい年齢でした。上司がほめてくれる。皆で美味しいものを食べにいく。それはそれでうれしい。だから血尿を出しながらも、一生懸命働いていました。しかし、そんな環境も次第にカラダに合わなくなってくるわけです。グチが口をついて出るようになってきて、毎日毎日、本当に疲れていました。人の物質的欲求なんてたいしたことないのに、お金を持ってハッピーリタイヤしたほうがいいなんて考えたりもしました。
そんなことをせこく考えるようになったから、体調も崩れてきて、いわゆる、今言うところのウツ病になってしまいました。毎日3時間ぐらいしか寝られないし、薬が手放せない。ヘタなエリート意識を持っていたのも厄介でした。「こんな屈辱はない」といつも考えていました。
週末になると、自転車で新宿御苑に行って、「自分は何を使命に生きているのか」などと哲学的なことをぼんやり考える日々が続きました。
しょうがないから、ATMで30万円ぐらい引き落として、HISに直行して、明日からどこかに行きたいと言ったこともあります。でも明日からなんて行けるところはないし、パスポートも切れていることがわかって、そのときは行けませんでした。
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