2008.05.19
「格差は存在する」と子ども達に伝える教育も必要だ(中)
寺西 隆行
(株)Z会
格差はひどい、の大合唱。 「こんな格差があっていいものでしょうか?」 ごめんなさい、マスコミで流れる安易なこのような投げかけには完全に閉口する自分がいます。 まずは自分でどうにかなるところからどうにかしませんか?(中編)
◆本投稿記事は、毎日更新中のブログ
http://www.zkaiblog.com/histaff/
の話題を元に、本サイトの読者層に合わせた形で修正しております。
1つ前の記事について、はてなブックマークでいろいろコメント頂きました(感謝です)。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.insightnow.jp/article/1370
こちらにあるコメントで、いろいろ皆さんにも是非御覧いただきたい、素敵なものがありましたので、まずはそちらを紹介したいと思います。
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人間の感性に与える環境の影響を過小評価しがちかな。そうするとどうしても個人の裁量の問題に矮小化してしまい、かえって「希望格差」といった感性的な問題をもたらす。
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大学時代のサークルの大先輩(笑)、山田昌弘教授がしたためた『希望格差社会』。
1つ前の記事では確かに、格差を認め(諦め)、その上で自分の人生を諦めない幸せを述べたわけですが、環境的な格差が余りにも大きいと「自分の人生を諦めない幸せ」の領域にもまた(感性的な)格差が生まれることをご指摘していますね。
おっしゃる通り、このような感性的な格差が広がるのは問題です。
だから「政策」において格差を解消する努力が必要なのは確かなわけですね。
もう1つ。
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現場の人間からすると、それくらいしてる。子供を育てるのは「自分の人生は諦めずに、環境そのものを変えることを楽しめる感性」。格差はその出発点となる違和感の一つでしかない。方法論が問題なんだよね。
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それくらいしてる、と言うコメント、とても頼もしく思いました。
実際のところ、「そのくらいしている」先生もいらっしゃれば、「していない」先生もいらっしゃって、「していない」先生の方がマスコミで取り上げられがち(だからよっぽど「していない」先生が多いと感じる)、という実態があるのかもしれませんね。
「自分の人生は諦めずに、環境そのものを変えることを楽しめる感性」
これを育む方法論は個々の子どもによって千差万別であるのが実態だと思います。
ただしー一番大事なこと、そして、欠けてはいけないことがあり、それは、
「大人自身が、環境そのものを変えることを楽しんでいる姿を見せること」
これには異論がないかと思います。
さて、このような格差論を考えるときー
上記の2つのコメント、およびそれに対する考察を見ても明らかなように、政策について語っているのか、それとも個々人の精神論について語っているのか、ごちゃまぜになりがちです。
そして、不幸なことに、格差是正のための政策論を語る記事を見て、自らの格差解消努力を放棄することを正当化する人が相当数いるー
これが好ましくない、と、1つ前の記事(とくにタイトル)では伝えたかったのです。
次のページ表紙の冒頭文を読んで、徒に自らの格差解消努力を放棄し、...
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「格差は存在する」と子ども達に伝える教育も必要だ
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