上野動物園にジャイアントパンダがやってきたのは1972年10月28日のこと。以来、36年目にして、パンダがついにその姿を消した。リンリン2008年4月30日午前1時56分死去。享年、22歳。その後、中国からのレンタルをめぐり、石原都知事の「パンダいらない」発言や、年間1億円ともいわれる高額なレンタル費をめぐって物議を醸している。果たしてパンダが上野や上野動物園にもたらす意味とは何なのか。
パンダの仕種が観察できる展示スタイルは、今日の「行動展示」とも通じるものがある。その最たる例が、北海道の旭山動物園であり、「生き生きとした動物の姿が見られる」という人気から、上野動物園の来場者数を超える月も記録した。しかし、上野動物園も負けてはいない。同様な展示方法を取り入れ、現在ではゾウ、クマなどのポピュラーな動物までが、「ああ、こんな仕種をするのか」という発見を提供してくれている。
石原都知事はこうも発言している。「何もパンダ様々で、ご神体じゃないんだから、いてもいなくてもいいじゃない。そんなもんは、どうでも」・・・正に慎太郎節の真骨頂という所だが、パンダを「ご神体」の如くあがめるのは、先の土産物の店主は売り上げに貢献するから確かだろう。しかし、一般人にとって、なぜ、そんなにありがたい存在となっているのだろうか。
それは、1972年という時代が背景ではないかと思われる。当時は翌年のオイルショック前の、高度成長期最後の年だった。誰もが揃いのアーノルド・パーマーの傘マークが入った靴下を嬉しそうに身につけていたように、誰もが同じものを手に入れたり、同じような行動を取っていた時代。パンダは、誰も同じものに熱狂した当時の日本の残照なのではないだろうか。そして、「パンダを上野に」と望むのは、そんな時代のノスタルジーに感じられるのだ。
今日、世は多様性の時代である。パンダが好きな人もいれば、パンダに関心がない人もいてもいいだろう。都知事のように。しかし、当の都知事こうも言う。「そりゃまあ、入場の人間(の数)が左右されるなら費用対効果を換算して考えればいい」・・・上野動物園は2006年4月1日から指定管理者制度によって東京都建設局から「財団法人東京動物園協会」に管理主体が移行しているが、冷静な判断だと思う。
日本に現在、パンダは8頭いる。年間1億円払って、中国から借りてくるのが正しいことなのか、もっと論議をした方がいいのではないか。
最後にもう一つパンダ好きとしての立場から。リンリンの死後、パンダ舎に遺影を掲げ、記帳所を設けて死を悼むのはとてもいいことだと思った。しかし、その直後から、「死んでしまったから、代わりを中国から」というような動きは極めて残念だ。教育にもよくないと思う。絶妙のタイミングで胡錦涛国家主席の来日があったから急な動きになったのかもしれないが、これだけは苦言を呈したい。
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2008.05.28
2008.07.16
有限会社金森マーケティング事務所 取締役
コンサルタントと講師業の二足のわらじを履く立場を活かし、「現場で起きていること」を見抜き、それをわかりやすい「フレームワーク」で読み解いていきます。このサイトでは、顧客者視点のマーケティングを軸足に、世の中の様々な事象を切り取りるコラムを執筆していきます。