北の都・札幌は冬場、どか雪に悩まされる。降り積もった雪を溶かす融雪装置だが、従来のものはムダの多さが欠点だった。「何とかムダをなくし、環境ダメージを抑えられないか」。エコで北海道を良くしたいと願う若手社長の熱い思いが生んだ画期的な装置が『ゆりもっと』だ。
第一回
「インターネットを使えば何ができるのか」
■衝撃だったアメリカでのネットとの出会い
「一体なんだ、これはと。留学先シアトルの大学でパソコンラボに始めて入った瞬間の衝撃は、今でもはっきりと覚えていますね」
エコモット社入澤社長は1999年、高校卒業と同時にアメリカに渡った。根っからの映画好きが嵩じて「映画の勉強をしたい、するなら本場アメリカに行かなければ」とそんな思いに駆り立てられてのことだったという。留学先に選んだのがHighline Community College、マイクロソフトやアマゾンが本拠を置くシアトルの大学である。そこでインターネットと出会ってしまう。
「ラボには一人一台のパソコンスペースがあって、そこにいる学生全員がインターネットを使っていました。みんな普通にGoogleで調べ物をして、メールを書いてと。まるで未来を描いたSF映画の1シーンが目の前に展開されている。そんなショッキングな光景でしたね」
99年といえばアメリカがまさにドットコムバブルに沸き立っていた時代である。なかでもシアトルはシリコンバレーと並んでIT企業が集まる先端都市だ。インターネット最前線で受けた強烈な刺激は、入澤氏の頭の中から本来の留学目的「映画製作」をきれいさっぱりと消し去ってしまった。
「これは何かやらなきゃって、訳のわからない焦りみたいなものを感じました。すぐにパソコンを手に入れて、プロバイダーと契約してネット三昧の毎日です。同時にいわゆるコンピューターサイエンスを夢中になって勉強しました。パソコンの仕組み、インターネットのシステムなどにのめり込んでいるうちに留学予定の2年はあっという間に過ぎていったんです」
十代後半のみずみずしい感性が出会ったインターネットという新しいインフラは、入澤社長の頭の中に、後に大きく花開く一つの種を仕込む。
「インターネットは必ずこれからの世の中に欠かせないインフラになる。きっと世界中の人が使うようになる。そのとき自分に何ができるのか。そんな夢みたいなことを考えるようになったのです」
▲シアトルの風景
■起業家を育てる社長との出会い
ネットを使えばすごいことができる。具体的なアイデアはなくとも、夢だけは目一杯ふくらませて帰国した青年・入澤を待っていたのはしかし、故郷札幌の厳しい現実だった。
「本当ならCommunity Collegeを2年で卒業して、University of Washingtonに編入する予定だったんです。ところがいろんな事情があってやむなく帰国。すぐに札幌で仕事を探しました」
続きは会員限定です。無料の読者会員に登録すると続きをお読みいただけます。
- 会員登録 (無料)
- ログインはこちら
FMO第8弾【エコモット株式会社】
2008.05.20
2008.05.13
2008.05.07
2008.04.28