社会人時代に起きた出来事-1

2025.12.26

経営・マネジメント

社会人時代に起きた出来事-1

野町 直弘
調達購買コンサルタント

私も社会人生活が長くなり、社会、経済、生活だけでなく、自分自身に対しても、大きなインパクトを与えた出来事を、思い返すと、多くのキーとなる出来事が浮かび上がってきます。今回は、これらの出来事について、どのようなものだったのか、ご紹介しましょう。

年の瀬となりましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
私は、年末になると色々と過去のことを思い出します。

東日本大震災は2011年の3月11日でした。
そう、もう来年の3月になると、既に15年の年月が過ぎたのです。
早いものですね。私にとっては、まだまだ、最近の出来事のように感じますが、もうあと数年すると、大震災を知らない世代が社会人になります。

それだけインパクトが強い出来事だったのですが、私も社会人生活が長くなり、社会、経済、生活だけでなく、自分自身に対しても、大きなインパクトを与えた出来事を、思い返すと、多くのキーとなる出来事が浮かび上がってきます。

今回は、これらの出来事について、どのようなものだったのか、ご紹介しましょう。また、結構長くなってしまったので、今号と次号の2回に分けてご紹介していきます。

私の社会人生活は、1984年にスタートしました。昭和ですと59年です。社会人になって、初めてのインパクトがあった出来事が、1985年のプラザ合意と、その後の円高でした。

当時、米国はレーガノミックスが失敗し、大幅な貿易赤字と財政赤字(双子の赤字)を抱えていました。米ドル高が、米国の輸出を妨げていたため、G5参加国(米・英・独・仏・日)が協調して、外国為替市場への介入を行い、ドル安へ誘導することに合意したのです。

これがプラザ合意でした。

当時の日本の蔵相は、竹下さんだったと記憶しています。プラザ合意により、当時240円位だった円ドルレートは、一気に150円台まで円高に振れたのです。当時の日本経済は、自動車を中心とした米国への輸出型であり、円高によるコストアップにより、一気に円高不況に陥りました。

プラザ合意当時、私は原価管理部門に所属する、社会人2年目のヒヨッコです。その日会社に行くと、課内で緊急会議が開かれ、円高によるコストアップへの対応をどうするか、ということを討議し、緊迫した様子だったことを、今でもはっきり覚えています。

プラザ合意は、今考えてみると、歴史上はじめて、日本経済が世界経済と協調するという、象徴的な出来事だったと言えるでしょう。

次はバブル経済です。

プラザ合意による円高不況に対する、政府の金融緩和策と、積極財政投資、前川レポートに代表される内需主導型経済への転換、などから1986年の年末位から、株と土地に過剰流動性投資が流れこみ、所謂バブル経済に突入しました。

この当時で、私が一番よく覚えているのが、父がぼそっと呟いた一言です。私の父は、不動産鑑定士で信託銀行の不動産部門に長く勤めていました。その父がバブル経済当時に、「地価は絶対に下がらない」と呟いたのです。どちらかというと、私の父は真面目で堅い性格でしたが、その父がそういうことを言うとは、とビックリしました。

その他に、バブル期の思い出と言えば、あまりバブった記憶はありません。丁度このころ、私は調達部門に勤務しており、サプライヤさんもとても忙しく、「お願いだから、この仕事を受けて!」と、如何に案件をこなす(こなしてもらうか)がたいへんだったことを覚えています。
あとは、兎に角タクシーが拾えなかったですね。

次は、同じバブルでもインターネットバブルです。

1990年代後半~2000年初頭の頃でしょうか。私は自動車会社を退職し、(その後何社か転職した後)GEの日本法人で、調達部門の立上げの仕事をしていました。

その頃の、象徴的な出来事がYahooジャパンの株価です。2000年2月22日、ヤフーの株価は1株 1億6790万円 という、日本株史上最高の値を記録しました。 私はその日、どこかの企業に訪問しており、その会社のロビーにおいてあるテレビで、そのニュースを聞いたのです。これも、とても鮮明に憶えています。

その当時は、インターネットに対する期待はものすごく高く、GEでも当時のCEOのジャック・ウェルチが、インターネットで会社を変えていくんだと、大号令をかけて、改革を進めていました。その当時の合言葉で、DYBという言葉が社内でも唱えられていましたが、これは「Destroy your business(自らのビジネスを破壊せよ)」の略で、ジャック・ウェルチが提唱した経営戦略でした。

いずれにしても、私はこの時期にe-Buyによって調達購買の改革が進むことを実感しました。e-オークション、マーケットプレイス、カタログ購買システム、Web-EDIなど、正に当時は調達購買改革の草分けの時期だったといえます。と同時に、インターネットは、それだけインパクトのあるツールでした。

私は、この時期にe-Buy「調達購買改革」で、生計を立てていこうと確信し、GEからインターネットベンチャー企業に転職しました。ところが、バブルは長続きしません。それまでは、インターネットを使ったビジネスの立上げなどに、多くの企業がかなりの投資をしており、ECサイトの立上げに、数億円かけるなんてことが、当たり前でした。そもそも、インターネットを使う時点で、コミュニケーションコストは圧倒的に下がる訳で、このようなバブルは、すぐに崩壊しました。

私が転職した、インターネットベンチャー企業も同様で、一時期は100人位従業員がおり、かなりの勢いで成長していたものが、急激な売上減少、収益悪化に陥いったのです。結果的には、その当時の経営会議メンバーで事業清算をすることを決め、ネットバブル崩壊と同時期に会社事業も崩壊しました。

こうして、私はインターネットベンチャー企業を辞め、当時チームメンバーだった、数人を誘って自身で調達購買コンサルティング会社である、アジルアソシエイツを立上げたのです。

一回目は、ここで終わります。

次回は私が調達購買コンサルティング会社社長から、今の会社に転職し、引き続きコンサルタントをしてきた中で経験した、今でも思い出すインパクトの大きい出来事についてご紹介していきましょう。

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野町 直弘

調達購買コンサルタント

調達購買改革コンサルタント。 自身も自動車会社、外資系金融機関の調達・購買を経験し、複数のコンサルティング会社を経由しており、購買実務経験のあるプロフェッショナルです。

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