毎年この時期になると本屋には新社会人向けのビジネス書が平積みされています。最近特に目に付くのが数字に関する本。いまなぜ数字なのか、ビジネスの現場で生じていることと結びつけて考えました。
問題解決という言葉がずいぶんビジネスの現場でも定着してきました。その手の本もたくさん目にすることができます。その延長線上に最近では、ビジネスリテラシーとして、財務諸表が読める必要があるとか、数字でものを言わなければだめだとか、定量的な分析に基づく仮説が必要だとか、言われるようになってきました。
だからといってビジネスの現場で皆が会計知識を必要とするような仕事が増えたと考えるのはちょっと筋違いだと思います。「さおだけ屋・・・」が流行ったのも、財務諸表が云々と言われるようになったのも、一つの要因は、個人投資家が増えたためだと感じます。必ず、その手の本には、個人投資の話が出ていますから。数字といっても財務に限った話ではないはずです。内部統制の関係もあるかもしれませんが・・・。
私が考える別の要因とは、言語力の低下です。どういうことかというと、そもそも言葉や数字は、伝える前に、ものを考える道具です。ところが、プロジェクトの現場でよく目にするのですが、「それってなんて言ったらいい?」、「どうやって表現すればよいか分からない」。言葉の前に立ちすくむ人が多いように感じます。何となく分かっていても、言葉にできない。これまでと同じことや既にやったことであれば、何となく通じますが、新しい人物事に取り組もうとした途端、考えが進まなかったり何も伝わらなかったりします。
数字でものを言わなければビジネスは回りません。その意味で積極的に数字力を振るう人は良いのですが、言葉が伝わらないので数字で言うしかないと言って逃げ道的に数字を振るうのは、絶対にうまくいかないと思っています。なぜなら、言葉も数字も、物事を考える道具として共通のスキルが求められるはずだからです。
日本語の場合は特に言葉が考えの行間、つまり数字の分を埋め合わせてきたのだと思います。それは信頼関係の現われでもありました。だから、なんとなく数字で言うのをためらう傾向がある。欧米では、数字で言わないと通じない。だから定性的なものでも何とか数字に置き換えようとする。組織成熟度を数字のレベルで表そうなどという発想はその極みであると感じます。それはそれで立派な取り組みです。抽象的なものをなんとか捉えて伝えようとしているわけですから。
「数学力は言語力」という記事が今朝の日経新聞に出ていました。名古屋大学の浪川先生によれば、10年以上前の日本数学会による学力低下の最初の指摘の中で、下がった学力として、「論理的抽象的思考力などの数学的な考え方」と「日本語の能力や読解力などの数学以前の基礎能力」が挙げられていました。数学者がこうした感覚を持っているのは、数学が言語という認識を持っているからだそうです。数学を学ぶことで論理力や抽象思考力が養われるとされてきました。でも、そのようなものは、元来思考力の基礎としての「言語」が持っている性質なので、数学力を鍛えることと言語力の関係を認識すべきということでした。
曖昧なままにしないようにする、物事を測る視点を持つ、という意味では数字はとても有用です。でも、数字で言えば考えが省けると思うのは大間違い。言語力という側面を見失わないようにしなければ思考力は養われないということ、覚えておきたいと思います。
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2009.02.10
2015.01.26
株式会社インサイト・コンサルティング 取締役
わたしはこれまで人と組織の変革に関わってきました。 そこにはいつも自ら変わる働きかけがあり、 異なる質への変化があり、 挑戦と躍動感と成長実感があります。 自分の心に湧き上がるもの、 それは助け合うことができたという満足感と、 実は自分が成長できたという幸福感です。 人生は、絶え間なく続く変革プロジェクト。 読者の皆様が、人、組織、そして自分の、 チェンジリーダーとして役立つ情報を発信します。