ビジネスマンとして生産性を上げ、成果を出し続けるためのセオリーとして、「自分にコントールできない(変えることができない)ことに思い煩うことなく、できることに集中しよう」という教えは、定番中の定番のとして有名なものだろう。 そうすべきなのだろうか?
極端かもしれないが、このコロナ禍で、同じ業種でありながら、結果に差が出てしまっている状況は、こうした「コントロール外」のことへのチャレンジや取り組み工夫の差があるのではないかと思う。
これをチャレンジととるか、無謀ととるかは、それぞれの仕事観の違いかもしれないが、間違った「コントロールできることに集中しよう」は、いまの時代にはそぐわないのではないか。
自分に「コントロールできない」ということは、ほかの人も「コントロールできない」可能性も高いわけで、ここにチャレンジうることは、自分の能力の幅を広げることにつながるはずだ、
コントロールできない「他者の評価」に対しては?
新たなことへの取り組みは別として、普段の仕事のなかではどうだろう?
我々が仕事をするなかで、コントロールできないことの最たることは、自分の仕事に対する他者からの評価ではないか。「これなら文句ないデキだろう」と思って提出しても、「ちょっと違う」「そういう意図ではない」など、ダメ出しを食らうことはしょっちゅうあることだ。
これも難しい問題だ。自分ではどうすることもできない「他者の評価」を気にするにあまり、自分にある本質的なものをゆがめてしまったり、「評価そのもの」だけに重視し、目的がずれてしまったり、アウトプットのための時間がとれなくなったりしては本末転倒であり、自分のためにもならないだろう。
逆に、人の評価は関係ないと、自分の思考や発言、行動など、「自分に変えることができる」ことに注力する仕事の仕方も悪いことではなく、そもそも、仕事にまじめに取り組む人であれば、基本的に「ベスト」だと思ってアウトプットし、お披露目するわけだから(そもそも真剣に仕事に取り組まない人はここでは無視する。そのまえに「ちゃんとやれ」ということだ)、そう簡単にアウトプットを変えられるものではなく、「評価がどうだろうが自分の仕事は同じ」「評価は自分ではどうしようもないから気にしない」と考えるのもわからなくもない。
しかしながら、大半のビジネスマンは、依頼者のニーズに応えることが仕事であり、残念ながら、他者からの低評価は、アウトプットするまでに、評価者のニーズをつかみ切れていなかったり、否定されても正当性を主張できる根拠を準備できていなかったことに起因することのほうが多い。もちろん、自分のスタイルをつくるべくクリエイターや作品性で勝負したいビジネスパーソンは別だ。自分のアウトプットのクオリティを高めることに注力すべきだろう。
そういう意味においては、我々特殊能力のないビジネスマンにとって、評価自体は「コントロールできない」とはいえ、他者の評価に応えるために「コントロールできること」に注力することが大事なのであろう。
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