やりがい搾取の経済学:ブランド資本主義とキリギリスたち

2021.01.04

ライフ・ソーシャル

やりがい搾取の経済学:ブランド資本主義とキリギリスたち

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/巨人たちの足元で浮かれ騒ぐキリギリスのように、賑やかな有名店、華やかな有名企業で働いて、歌って踊って絵を画いて、それでなにか楽しげに仕事をして、毎日を謳歌しているように思えるかもしれないが、きみはやりがいを搾取されるだけ、神輿を担がされるだけ、ブームが終われば棄てられるだけ。/

かくして、製造資本主義、金融資本主義に継ぐブランド資本主義は、それほど長くは続かないのではないだろうか。すでに早くもメディアの国際的プラットホームなどには綻びが見え始めている。植民地や投資市場という広い世界を奪い合った製造資本主義や金融資本主義と違って、ブランド資本主義は、一般市民の限られた時間を奪い合う。ここではつねに新鮮さが重要で、敵対ランドによる陳腐化攻撃によって上書きされ、価値が劇的に低減してしまう。将来的な収益可能性だけを根拠にしているのれん代だから、短命化リスクが高まれば、意味も無くなる。

この巨人たちのむだな消耗戦に関わるな。その足元で浮かれ騒ぐキリギリスのように、賑やかな有名店、華やかな有名企業で働いて、歌って踊って絵を画いて、それでなにか楽しげに仕事をして、毎日を謳歌しているように思えるかもしれないが、きみはやりがいを搾取されるだけ、神輿を担がされるだけ、ブームが終われば棄てられるだけ。このコロナ騒ぎでわかっただろう。きみの手元には何も残らない。経歴はもちろん、人間関係さえも、ばらばらにされてしまう。

権利を手放すな。規模を求めるな。名義借りのゴーストで働くな。たしかに大手ブランドと組めば、一生を遊んで暮らせるほどの一攫千金のチャンスが無いとは言わない。だが、自分のものが自分のものでなくなる。それどころか、マーケティング優先で、自分の作りたいモノが作れなくなる。それも、つねに売れ続けないと、ブランド側のがんばり搾取のしがいが無いと、存在価値まで否定される。それが、モノ作り、クリエイティヴな楽しみか。生き方は、カネには代えられない、代えてはならない。実際、長谷川町子でも、さいとうたかをでも、最近のネットマンガ家たち、世界のネットアニメ作家たちでも、時代に迎合せず権利を保持する、細く長いロングテイルのスタイルを工夫している。演劇などでも同様で、いま売れている連中はみな、自分たちの劇団、自分たちの作品を自分たちで守ってきたところばかりだ。

時間はある。そして、才能は無駄遣いすればするほど、殖える。ケチケチせずに、とりあえずバンバン使ってみよう。ただし、既存の有名ブランドにぶら下がるのではなく、小さくても自分たちのブランド、サービス、エンターテイメントを立ち上げ、育てよう。どんな時代にも、人はサービスを求め、心安らぐ娯楽を求めている。それは何か。どんな形態か。それを考えるのが、クリエイティヴな仕事じゃないか。答えなど、決まってはいない。馬籠や妻籠、白川郷のように周回遅れの古びたものがかえってトップに躍り出ることもある。また、顧客へのリーチの方法は、昔より格段に充実している。どこかでだれかがかならずきみを待っている、きみを必要としている。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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