損切り売抜けは早い者勝ち:カエルを茹でる休業補償金

2021.02.03

ライフ・ソーシャル

損切り売抜けは早い者勝ち:カエルを茹でる休業補償金

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/ただ我慢してずっと待っていも、たぶん世界はもうあなたをけっしてまた迎えに来たりはしない。たとえ再開するにしても、きっともっと若手があなたに取って代わるだろう。/

終戦直前の1945年8月9日0時過ぎ、ソ連軍がいっせいに満州になだれ込んだ。だが、同地を守備するはずの関東軍は、もぬけの殻。それで、現地邦人130万人が犠牲になった。

ドイツ降伏の5月、ソ連が全軍を東方に振り向けることは、すでに関東軍も把握していた。しかし、独ソ開戦前の日ソ不可侵条約を頼みに、戦力を南方の難局に割いていたため、自力で広大な満州を保持することは不可能。かといって、このことを130万もの現地邦人に知らせれば、パニックを起こし、道路や鉄道を麻痺させてしまい、戦力を後退集約して拠点保持することもままならなくなる。そこで、関東軍は、隠密裏に、自分たちだけ先に逃げ出していたのだ。

そもそも「終戦」という言い方からして、たいがいなものだ。うちの父方の祖父は、なまじ戦時中にたいそうな身の上だったせいで、けっこうな額の恩給をもらい続け、そのせいで、そのうちすぐに帝国が復活して自分を呼び戻してくれると信じ、後半生を無為に費やした。一方、母方の祖父は、数百年来の大店商売に早々に見切りをつけ、言葉のいらない手品で進駐軍将校たちと親交を結び、英語を学ばせた息子たち(私のおじたち)を世界的な航空会社やホテルチェーンに送り込んだ。

知ってのとおり、本田宗一郎なども、戦後の一年こそ「人間休業」したが、打ち棄てられていた軍用無線機の発電エンジンをふつうの自転車に載せ、焼け野原を荷物運びで走り回る簡易バイク「バタバタ」に仕立て、戦後復興の経済活動に大いに貢献した。また、広島の製菓業者、松尾孝は、不足する配給制の米に代えて、米国から大量輸入されていた小麦で、あられ「かっぱえびせん」を作り、カルビーとして子供たちの飢餓と栄養に向き合った。

時代の変わり目において、政治はその激変を表面的に抑えて、ごまかそうとする。ちょっと東に行ってくるだけと言った帝が、京に150年も戻っていない。福島で原発がメルトダウンを起こしていながら、あれは予定通りの「爆破弁」だ、とか、ただちに影響は無い、とか、方便をかます。もうみんな忘れたのだろうか。

いや、父方の祖父のように、個人もまた、価値の転換、時代の激変を理解したくない、理解しようとはしないものだ。まして、それが苦労して手に入れたものとなると、いよいよだろう。たとえば、江戸時代、寒冷な山の上まで村を作って、何代もかけて棚田を拓いた。しかし、その後、農地改良だの品種改良だので平地で大量の米が獲れるようになり、米余りになると、生産効率の悪い山村そのものが無意味になり、いまとなっては、管理のカネと手間ばかりかかる「負動産」として、原野としてさえも売るに売れない。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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